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所在地:大阪市淀川区加島4丁目
最寄駅:市営バス「加島」下車北へ、バス停横の信号を渡り北へ、
香具波志神社を左へ、約200M右側 |
当山の縁起は大化年間(645〜50年)天竺より飛来した法道仙人が、当地の人々の懇願により、阿弥陀仏を刻み一宇を建立したのに始まるという。また法道の開創を聞いた孝徳天皇より寺領と勅額を賜ったという。
1207年(建永2年)法然上人が土佐に配流される途中、当寺に一泊し神崎の遊女に法話を聞かせたと伝わる。
また当寺には「貞和4年墨書銘(1348年)」の不動明王が安置され、楠木正成が佐々木秀詮と一線を交えたとき、当地に本陣を置き、この不動尊に祈念し、勝利を得たという。
1541年(天文10年)頃より、三好長慶が三津屋城を拠点とし、当寺をも支配したところから現山号を名乗るようになったといい、豊臣秀吉の頃には朱印地1町8反歩を有する寺院であった。
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[参考資料] 『摂津国八十八ヶ所霊場案内記』 古寺顕彰会
『日本歴史地名体系』大阪府の地名編 平凡社 |
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寺の由緒からみて、古いお寺を想像していたが、堂宇の殆どが新しく立て替えられている
境内に祀られていた新旧の地
蔵尊。古い地蔵さんの建立年
代は分からなかったが、新しい
のは1993年(平成6年)の建
立。 |
本堂は阪神淡路大震災の数年前に建て替えられていたため、地震の被害は全く受けなっかたとのこと
楠木正成ゆかりの熱切不動明
王を祀る地蔵堂は大震災のと
きに崩壊し、3年前に再建され
ている
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富光寺の北側、神崎川にかかる「毛斯綸(モスリン)橋」。明治の頃この付近にモスリン(毛織物の一種)を織る工場があったところからついた名前だということであるが、言葉そのものが死語となった感がある。
この橋を渡ると兵庫県尼崎市戸ノ内。ある年代以上の人には懐かしい響きを持つ名前でもある。ン10年ぶりにわたってみたが、かっての華やかな場所は消えうせていた。 |
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摂津八十八ヶ所霊場 |
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[2004年2月7日参拝] |
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