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神社めぐり 香具波志神社
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[更新記録]
・04/09/01 
上田秋成関連のページを独立させるため、写真入替
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香具波志神社 所在地:大阪市淀川区加島4丁目
最寄駅:市営バス「加島」下車北へ、バス停横の信号を渡り北へ、
突き当たり手前右側
当社の縁起は、社伝によれば959年(天徳3年)秋稲荷大神である食稲魂神(うかのみたまのかみ)・
保食神(うけもちのかみ)を奉斎したのを創祀とする。
「香具波志(かぐはし)」の名は、孝徳天皇が有馬温泉へ行幸の途中、当地を通った際、『かこはしや此花いもみせぬかもやこの花』と詠まれた御製に由来している。
 平安末期以降社内には連歌殿があり、北条時頼から連歌田1町の寄進を受け、また南北朝時代には、神崎川を挟んで両朝が戦いを繰り返したが、そのおり楠木正儀が当社に戦勝祈願をして、勝利を得たと伝わる。
 戦国時代には三好長慶が当社に朱大鳥居1基を奉納しており、現在も沓石が残る。
 また、「雨月物語」の作者として、有名な江戸時代の国文学者・上田秋成が幼時、天然痘で危うかったとき、同神社を信仰して助かったとの話が伝えられ、当社の神官藤家時とその弟家孝の招きで、1773年(安永2年)から足掛け3年、当地に居住している。1801年(享保元年)68歳を迎えた秋成は、68首の和歌を奉納しているなど、当社との繋がりは深い。没2年後、藤家孝により、藤一族の墓地に秋成の墓が建てられている。
 江戸年間に整備された本殿は1860年(万延元年)火災により灰燼に帰すも、1863年(文久3年)復興し、途中造改築により近年まで存在したが、1995年(平成7年)阪神大震災により崩壊し、再建されている。

[参考資料] 『香具波志神社社史』 香具波志神社パンフレット
         『日本歴史地名体系』大阪府の地名編 平凡社
香具波志神社正面鳥居


鳥居は阪神大震災のとき崩壊し、1996年(平成8年)に再建された。



阪神大震災で崩壊した鳥居

 崩壊した鳥居や灯篭などが、
 一箇所に集められている。
本殿も阪神大震災で崩壊し、建て直されたとのことである。 香具波志神社拝殿
三好長慶寄進の鳥居の礎石が残る 境内の一角に残る三好長慶が寄進したと伝わる鳥居の沓石。
そばに立つ石碑には『天文年中三好修理太夫長慶殿寄附朱木鳥居沓石』とある。
神社の境内に「楠木正儀卿駒繋樟」の石碑と大きな切り株がある。1351年(正平6年)楠木正儀が佐々木秀詮との戦いの時、当社に参拝し、この楠に愛馬を繋ぎ、必勝を祈願したと言う。
楠は天然記念物に指定されていたが、1967年(昭和42年)枯死し、現在は切り株の植えに岩木神社が祀られている。
楠木正儀駒繋ぎの木
ご朱印
香具波志神社朱印
[2004年2月7日参拝]

神社-021/TTL-146

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