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所在地:東大阪市西岩田1丁目
最寄駅:近鉄奈良線「若江岩田」下車、商店街を北へ300M、
果物屋の角を西へ約500M |
観音寺は寛延年間(1748〜51年)に、この地の人で、慈雲尊者に深く帰依した高峰智興大尼の開基による。大尼はその弟子互鏡慧上尼と共に尊者の命により、四天王寺において聖徳太子の糞掃衣(ふんぞうえ:ボロで作られた、粗末な袈裟)を自ら試し、二衣を模製し尊者の干衣裁製*の実現に力を尽くした。
尊者の師命により初めてこの寺に於いて、法憧(ほうどう:仏法の目印の旗)を立て、寺を結界して増坊とし、当寺を正法律根本道場として弟子の教化につとめたと伝えられてる。
また当寺には、慈雲尊者が河内巡回の折には、よく立ち寄ったということであり、尊者ゆかりの寺院の1つである。 |
*干衣裁製:1752年(宝暦2年)慈雲尊者が33歳の時『方服図儀』を著し、袈裟の裁製を正して、その意義について力説し、1766年(明和3年)に干衣裁製を始めた。多くの尼僧や信者達に把針を勧め、干衣が完成したのは尊者が入寂した翌年の1805年(文化2年)であった。
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[参考資料] 『河内西国巡礼』 河内西国霊場会編 |
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観音寺の山門。
六方石を枠にはめ、建てられたという山門に掲げられてある扁額『無畏城』は慈雲尊者の揮毫によるもの。
「無畏」とは、安穏で畏(おそれ)の無いこと。「城」は
無畏を得たものが集まる道場をいう。 |
本堂に安置されている本尊は十一面観世音菩薩。 |
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弘法大師修行像。 |
山門脇にある水子供養の地蔵像と供養仏。 |
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河内33ヶ所霊場 |
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[2004年12月25日参拝] |
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