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史 跡
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[更新記録]
・06/1/28 清澄寺扁額追加
・07/6/19 
春日神社変額追加
慈雲尊者揮毫(1)へ
慈雲尊者の足跡へ
慈雲尊者揮毫の石標・扁額
(2)
所在地:
観音寺:東大阪市西岩田1丁目
興福寺:奈良市登大路町
念仏寺:奈良市漢国町
清澄寺:宝塚市米谷清シ
春日神社:東大阪善根寺町
慈雲尊者揮毫による扁額及び石標のパート2です。

東大阪市西岩田 観音寺の扁額
岩田観音寺山門扁額 岩田観音寺
東大阪市西岩田にある観音寺の山門に架かる扁額。
当寺の開基は慈雲尊者に深く帰依した高峰智興大尼による。その縁もあり、慈雲尊者が河内巡回の折にはよく当寺に立ち寄ったとのことである。

奈良 興福寺南円堂の扁額
興福寺南円堂の扁額
興福寺南円堂
奈良興福寺・南円堂は西国33ヶ所の第9番霊場。この南円堂のご詠歌が書かれている扁額は慈雲尊者の揮毫と伝わる。興福寺に問い合わせたところ、「慈雲尊者がこの南円堂を参拝したという記録は残っておらず、南円堂は1717年(享保2年)に焼失し、1789年(寛政元年)に再建されているところから、慈雲尊者が参拝しているとすれば、1789年以後と考えられる。」との見解であった。
奈良 念仏寺の道標
奈良・念仏寺境内の道標 奈良・念仏寺-2
念仏寺は、1622年(元和8年)徳川家康の末弟である松平定勝の建立。山門には葵の紋が入っている。
奈良・念仏寺境内にある道標。表側には「南無阿弥陀仏」の6字名号。裏面には、弟子の智幢による碑の建立の経緯が記されている。元は奈良街道(現国道369号)沿いに建てられていたが、保存のため現在地に移されている。碑は屋根付き、周囲は金網で覆われ、保護されている。
宝塚 清澄寺の扁額
清澄寺本堂 清澄寺旧本堂扁額
右の扁額は清澄寺旧本堂に掛けられていたが、
現在は寺院の縁起の解説板と共に展示されている。
宝塚・清澄寺にある扁額。当山の第33世法主浄界和上は1821年(文政4年)高貴寺で具足戒を受けたという縁で、この額が伝わった。一番上の岩田の観音寺の扁額と非常によく似ている。
(ガラスケースの中の物を撮影したため、反射して見え難い)
東大阪 春日神社の扁額
春日神社扁額 春日神社拝殿
東大阪・春日神社拝殿正面の扁額。この額は1793年(寛政3年)慈雲尊者の筆により寄進された。
現地の説明板によると、額の裏に明治初年の神仏分離で廃絶した当社の宮寺であった「東光院」の刻銘があるとのこと。

史跡-101/TTL-412

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