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所在地:高槻市原
最寄駅:JR東海道線「高槻」下車、市営バス「原大橋」行きで
「神峰山口」下車、徒歩約20分 |
当山に伝わる『神峰山寺秘密縁起』によれば、697年(文武天皇元年)役行者が葛城山中より、葛城山と葛城山と北方の嶺とに金色の光が往来するのを見て当山を訪れ、地主神金毘羅童子のお告げにより、伽藍を建立、霊木を得た。
金毘羅童子はこの霊木で4体の毘沙門天を刻んだ。これが、日本最初の毘沙門天といわれる。この4体の内、最初の像は動かず、宝塔院(神峰山寺)の本尊となった。次の像は北東に飛去り鞍馬寺の本尊に、第3の像は信貴寺の本尊、第4の像は北嶺に飛去り奥院霊雲院(本山寺)の本尊になったという。
774年(宝亀5年)開成皇子が弥勒寺(現箕面・勝尾寺)より入山し、草創時の6坊を顕密両座の12坊に分け、極楽院、来迎院2院の別所も創始し、中興の祖となった。皇子の父、光仁天皇以降、歴代天皇の勅願所ともなっている。
役行者の開山伝承がある、比叡、比良、伊吹、神岑、愛宕、金岑、葛木はいわゆる「七高山」と呼ばれ、ここ摂州神峰山も畿内近国の天台修法のための7ヶ所の高山・霊場の1つに数えられ、大いに栄え、最盛期には、僧坊21・寺領1300石に及んだといわれる。
足利義満や淀君、豊臣秀頼などの寄進により、多くの堂塔が造営されたが、江戸時代に殆どが焼失し、現在は宝塔院(本院)、寂定院、龍光院の3院を残すのみである。
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[参考資料] 『役行者霊蹟札所巡礼』 役行者霊蹟札所会 朱鷺書房
『日本歴史地名体系(大阪府編)』 平凡社 |
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バス停から約1Kmほど登ると山門が見えてくる。
山門(仁王門)は運慶作と伝えられる二体の仁王がにらみを利かしている。
本堂まではこの門をくぐり、更に200mほど登らなければならない。 |
本堂は1765年(明和2年)の火災で焼失したが、1777年(安永6年)に再建されている。
本堂に安置されている阿弥陀如来坐像(寄木造り)と聖観音立像2体(1本造り)は、1950年(昭和25年)国の重要文化財に指定されている。 |
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開山堂には役行者等身大の像がまつられているとのこと。 |
観音堂。十一面観音がまつられている。 |
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観音堂の横にある13重の石塔は光仁天皇の分骨塔と
伝わる。 |
本堂裏山にある5重塔は開成皇子の遺髪塔と伝わる |
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新西国三十三ヶ所霊場 |
役行者霊蹟札所 |
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[2005年2月22日参拝] |
[2005年2月22日参拝] |
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