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所在地:高槻市原町
最寄駅:JR東海道線「高槻」下車、市営バス「原大橋」行きで
「神峰山口」下車、徒歩約20分で神峰山寺に到着、
本山寺へは更に1時間 |
本山寺は霊雲院ともいい、寺伝によると696年(持統天皇7年)役行者は葛城山で修行中、このあたりに5色の彩雲がたなびくのを見て、当地に堂を構え、自刻の毘沙門天を安置したという。
この話とはちょっと異なるが、本山寺から約3Km程下ったところにある神峰山寺の縁起では役行者が得た霊木で、地主神金毘羅童子が4体の毘沙門天を刻み、1体は神峰山寺に、残り3体は飛び去り、それぞれが鞍馬寺、信貴寺(朝護孫寺)、本山寺の本尊となったという。
神峰山寺に伝わる『神峰山寺秘密縁起』には当山は神峰山寺の奥院霊雲院と記されているが、当山に伝わる文書では戦国時代には既に本山寺を称しており、神峰山寺奥院であったという確たる資料はないが、霊雲院の名が現在も使われていることからすれば、何らかの関係があったと思われる。
774年(宝亀5年)開成皇子が役行者の徳を慕い堂宇を建立、大般若経を一字一石書写し納めたという。
天文年中(1532〜55年)には松永善右衛門(松永弾正久秀)が立身出世を祈願し、後に五百住の良田を寄進している。
その後、1582年(天正10年)山崎合戦の際、高山右近の兵火に罹り焼失したが、1603年(慶長8年)豊臣秀頼が鐘楼、楼門などを再建。宝永年間(1704〜11年)には徳川綱吉の生母桂昌院が大改修を加えたという。 |
本山寺で頂いたパンフレットのタイトルに『日本三毘沙門天』とあり、現地の説明板では当山の本尊の毘沙門天が山城・鞍馬寺、大和・信貴寺とともに日本三毘沙門天の1つであることを謳っている。
『日本歴史地名体系』の神峰山寺の項では三毘沙門天として、「神峰山寺、本山寺、鞍馬寺」とする説と「神峰山寺、鞍馬寺、信貴寺」との説を紹介しているが、わざわざ寺院ごとに異なる解釈の三毘沙門天とせず4体全部を兄弟毘沙門天としてアピールした方が良いと思われるが、それぞれの寺院に別の思惑があるのかもしれない。
ネットで検索して見ると、鞍馬寺、信貴寺はほぼ固定しているようだが、残りの1体を栃木県足利市 最勝寺(大岩毘沙門天)、神奈川県横浜市 蓮勝寺、山梨県大月市
普明禅寺、愛知県碧南市 妙福寺などが名乗りを上げている。
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[参考資料] 『日本三毘沙門天 北山本山寺略縁起』 北山本山寺
『日本歴史地名体系』大阪府の地名編 平凡社 |
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本山寺の入り口の勧請掛。
これと同じ勧請掛は安岡寺でもみかけたが、現地の説明板によれば「勧請掛は当山を守護し、天神地神を勧請祭祀する行事で毎年12月25日に奉納される」とあり、
往古よりこの注連縄の12筋の長短を持って、翌年の社会情勢、農作物の出来映え、物価の高低を暗示するという。 |
本山寺中の門。
この門は1603年(慶長8年)豊臣秀頼が伏見桃山城内の門を移築したという。
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本山寺本堂。
本堂に安置されている本尊の毘沙門天は平安時代後期の木造での国指定重要文化財。その他、平安時代前期作の聖観音立像(国指定重要文化財)、不動明王(高槻市指定文化財)、宇賀神(うかじん)王などを安置する。 |
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三社権現とあったが、有名な浅草の三社権現と同じ神かどうかはわからない。 |
本山寺鐘楼。 |
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2007年7月28日参拝 |
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