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所在地:堺市堺区南旅籠町東3丁目
最寄駅:阪堺線「御陵前」下車、東へ約200M |
南宗寺は1526年(大永6年)京都大徳寺の76世住職古嶽宗亘が堺南庄舳松(現堺区協和町)の1小院を南宗庵と改称したのを始まるとする。
1557年(弘治3年)三好長慶が父元長の菩提を弔うため、古嶽宗亘門下の大林宗套を開基とし、現在の中之町東4丁(妙法寺付近)に東西8町南北30町の壮大な寺院を造営し、南宗庵を移転し南宗寺とした。
その後、1574年(天正2年)の松永久秀の乱入や、1615年(慶長20年)の大坂夏の陣の前哨戦で、堂宇は悉く灰燼に帰している。1607年(慶長12年)南宗寺の12世住職となった沢庵宗彭は復興に力を入れ、1619年(元和5年)現在地に再建した。13世住職清巌宗渭は1647年(正保4年)山門(甘露門)を造営、1652年(承応元年)に仏殿の建立に着手しており、現在の伽藍はこの頃までに整備されたと考えられる。
また、南宗寺は茶道や茶人と関係が深く、武野紹鴎のほか北向道陳、津田宗達、津田宗久、千利休らは、大林和尚、2世笑嶽和尚らの当寺の歴代和尚に就いて参禅、得度している。
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[参考資料] 『龍興山 南宗寺』 南宗寺パンフレット
『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社 |
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通りに面してある総門。大林和尚揮毫の「龍興山」の
扁額が架かっている。 |
境内に入って暫く行くと山門(甘露門)がある。1647年(正保4年)の建立、国指定の重要文化財。 |
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仏殿(大雄宝殿)。本尊の釈迦如来を祀る。天井に狩野信政筆の「八方睨みの龍」が描かれている。建物は1652年の建立、国指定の重要文化財。 |
唐門。建立年月は不明であるが、細部様式から17世紀中頃のものと見られる。国指定の重要文化財。
門の向こう側には東照宮があったが、先の大戦の空襲により消失している。 |
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坐雲亭。南宗寺の山内で最も古い糧物。中に徳川秀忠、家光両将軍の御成りを記した板額がある。
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実相庵。1876年(明治9年)この南宗寺で博覧会が開催され、この時塩穴寺にあった千利休ゆかりの茶室実相庵が移築されたが、1945年(昭和20年)の空襲で焼失、1963年(昭和38年)再建された。 |
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千家一門の供養塔。中央に利休の墓、左右に表千家、裏千家、武者小路家の墓が並ぶ |
武野紹鴎の供養塔。 |
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三好一族の墓。戦国大名の三好元長、三好長慶親子をはじめとする一族の墓。
三好長慶は南宗寺最大のスポンサーであったといえる。
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徳川家康の墓。俗説では大坂夏の陣で家康は八尾の真観寺境内で重傷を負い、この南宗寺で落命し、葬られたという。
この墓は戦後の建立であるが戦前までは、小さな墓があったらしい。なお、南宗寺では、家康を槍で突いたのは後藤又兵衛という話も伝わっている。 |
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和泉三十三ヶ所観音霊場 |
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[2006年5月26日参拝] |
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