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所在地:大阪市西成区岸里東2
最寄駅:阪堺線「天神ノ森」下車、西へ100m |
この地はもとは勝間新家と称したが、芽木光立が武野紹鴎(たけのじょうおう)の旧地に天正年間(1573〜91年)茶店を出し、豊臣秀吉が住吉大社参拝や堺への往来の際、この茶店で休息したところから、「太閤殿下茶屋」といい、転じて「天下茶屋」と呼ばれるようになったという。
現地の案内板によると、1945年(昭和20年)の戦災に遭う前までは、5000平米に及ぶ広大な屋敷に、秀吉が命名した天神ノ森の湧水の井戸や茶室、紀州公をはじめ諸大名が宿泊した御殿が残っていたとのことである。
また、このあたり(天満宮のあたり)は天神の森(紹鴎の森)とも云われ、室町時代末期の茶匠・武野紹鴎が当地の森林に湧く泉水を愛し、歳月を送った所でもある。 |
武野紹鴎:1502〜55年(文亀2年〜弘治元年)泉州堺の納屋衆の一人。紹鴎は若くして京都に出て歌道等を学び、特に茶道は、村田珠光の門人宗陳・宗悟に学び、極意を感得した。「わび」の境地をもって茶道の理想とし、一閑居士・大黒庵と号した。晩年の門人に千利休がいる。
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[参考資料] 『現地案内板・天下茶屋の由来』
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「天下茶屋」の由来を示す建物(芽木家)は戦災で焼失し、現在は天下茶屋跡として、くすのきの大樹と土蔵、石像だけが残っている。
1987年(昭和62年)に現在のものに修復された。 |
現地には「天下茶屋跡」の石碑と「天下茶屋の由来」を記した案内板が建てられている。現在、史跡となっている場所は広大な屋敷の北西の隅に位置するとのことであるが、地形が全く変わっており、全貌がよく掴めない。
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天下茶屋跡地の東側にある「天満宮」。
安産のご利益があるとして、「子安天満宮」とも云われ、豊臣秀吉も淀君懐妊のとき、住吉大社参拝の途中、安産祈願したと伝えられる。
天神の森の老樹くすのき13本が1968年(昭和43年)に大阪市保存樹林に指定されている。 |