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所在地:堺市堺区南半町東2丁
最寄駅:阪堺線『御陵前』下車、東へ約200M |
当山はもと南宗寺の塔頭の1つで、公儀堀に望んでいたところからこの名がある。1652年(承応元年)堺の豪商で、茶匠であった今井宗久の曾孫今井兼続が開基となり、南宗寺第13世住職清厳宗渭が隠居所として入山し、開山した。当初は臨江庵と称していた。
かっては境内に多くの萩があり、「萩の寺」の寺とも呼ばれていた。
境内には芭蕉の句碑を始め、今井宗久累代の墓や武野紹鴎の墓など見るべきものが多くある。
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[参考資料] 『龍興山 臨江寺(萩の寺)』 臨江寺パンフレット
『現地説明板』 堺市 |
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臨江寺の山門(左側)と本堂(右側) |
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本堂の前に建てられている曽我十郎・五郎兄弟の供養塔と兄弟を祀る曽我稲荷社(左側)。弟十郎の供養塔は戒名らしき文字がかろうじて読めるが、兄十郎の方は上の笠の部分と土台しか残っていない。
右側の写真の長細い石は十郎の恋人の虎御前が化身したと伝わる「虎ご石」。 |
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今井一族累代の墓(左側)と左端に一段大きい今井宗久の墓がある(右側)。
今井宗久:1520年(永正17年)〜1593年(文禄二年)。出身は大和(現橿原市今井町)といわれ、この町の称念寺は宗久の旧宅と伝わる。堺に移った後、茶道を武野紹鴎に学び、その女婿となった
信長と堺衆が対立したときに津田宗及とともに和平派の中心人物として働き、武力衝突を回避した。以後信長の信頼を得て鉄砲・弾薬の製造に乗り出し巨富を築き、堺の納屋衆の中では最大の財力を誇った。 |
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 |
乳守明神社(左側)。出産後お乳の出ない女性が祈願すると乳が出るようになるという。女性の守り神として信仰されている。
「乳守の旧蹟」碑(右側)。碑の裏側は加茂季鷹の歌碑になっているらしいが、植込みがあり写真に撮れなかった。
パンフレットによると和歌は『なべて世の袖にもつつめ梅の香にかおるその春風』とある。 |
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武野紹鴎の墓。紹鴎の墓は隣りの南宗寺にもあるが、こちらの墓は臨江寺を開基した今井兼続が曽祖父宗久の義父であった紹鴎の墓を当寺に移した。
武野紹鴎:1502年(文亀2年)〜1555年(弘治元年)
堺の商人の家に生まれる。24歳で上洛。和歌を三条西実隆、茶道は藤田宗理、十四屋宗悟に学ぶ。村田珠光の侘茶の道を更に発展させた。
門人に千利休、今井宗久、津田宗達らがいる。 |