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所在地:奈良県吉野郡吉野町吉野山
最寄駅:近鉄吉野線「吉野」駅からロープウエイに乗換え、
終点「吉野山」駅から徒歩で約30分 |
喜蔵院は大峯山の特別関係寺院の1つ護持院で、開祖は役行者と伝わる。平安時代初期の承和年間(840年頃)近江園城寺(三井寺)を開いた智証大師円珍が大峯山入峰に際して、一宇のお堂を建てたのが、現在の喜蔵院の始まりとされる。
現在は本山修験宗聖護院門跡寺院として、本山修験の到着所となっており、江戸時代の聖護院門跡が入峰際しての記録も残っており、大峯修験史の貴重な記録となっている。
また、江戸時代中期の寛文年間(1661〜72年)儒者熊沢蕃山が、由井正雪の慶安の変(1651年)に関係があたっとして、幕府に忌まれ、明石・大和郡山と移り住み、1年あまり、ここへ身を隠していたことがある。
当院でも、毎年7月住職の先達で「大峯奥駈修行」が行われ、参加者は4泊5日山から山へ歩き続ける。
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[参考資料]『役行者霊蹟札所巡礼』 役行者霊蹟札所会編 (株)朱鷺書房
『現地解説板』 吉野町観光課 |
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当山は吉野山4宿坊の1つだが、ユースホステルの併設しており(門のところの三角マークの看板がそれ)、
参拝した折にも、外国よりの宿泊客も見受けられた。 |
本堂は木造桧皮葺、宝形造りで、向拝が付いており、本尊の役行者、蔵王権現、不動明王等が祀られている。 |
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境内に建つ熊沢蕃山の歌碑。 『この春は 吉野の山の 山守となり とこそしれ 花の心を』。
熊沢蕃山:江戸時代前期の儒学者。
1619年(元和5年)京都に生まれる。
その思想は、現実に応ずる政治的実践を学問の目標としたところにあり、農本主義を唱えて、岡山藩の藩政に深く関わり、治山・治水・新田開発等民政に業績を上げた。
晩年、著書『大学或問』で参勤交代や兵農分離策などを批判したため、1686年(貞享3年)幕命により、下総国古河藩主松平忠之へお預けとなり、城内に禁錮された。1691年(元禄4年)死去。 |
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役行者霊蹟札所 |
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[2004年10月3日参拝] |
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