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所在地:奈良県吉野郡吉野町平尾
最寄駅:近鉄吉野線「大和上市」下車、バスの便は無い。タクシーで約10分。
車は国道169号を東へ、河原屋交差点から県道28号線を北へ、
「菅生寺」の案内看板が随所にあり、それに従う |
当山の縁起は、724年(神亀5年)義淵僧正により、神仙境龍門山麓に龍門寺を建立、堂塔伽藍を整えたことに始まり、菅生寺(すぎょうじ)はその龍門寺の別院であったと伝わる。中世には、吉野山に潜幸の後醍醐天皇が勅願寺としたが、龍門寺の衰退とともに当山も衰退の一途をたどった。
1506年(永正3年)火災のため廃寺同然となるが、吉野山桜本坊の快済法印が1782年(天明2年)当地に移り、天明の飢饉の世情不安の中、私財を投じ、復興に奔走し、1808年(文化5年)に落慶法要が営まれた。
昭和初期より再び無住の状況が続き荒廃したが、戦後、小樽で布教活動をしていた三条妙節師が百日托鉢の途中当地に宿泊した折、夢枕に当山の復興を願う尼僧が立った。翌朝、案内されて来山。その荒廃ぶりに驚いたが、妙節師は1980年(昭和55年)より修理復興に取り掛かり、困難な状況の中、篤志家の協力も得、法灯が蘇り、現在に至っている。
また、菅生寺の名の示すとおり、菅原道真が生まれ育ったとの伝承もあり、道真の両親の墓があるとのことだが、確認できなかった。
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[参考資料] 『大師山菅生寺』 菅生寺パンフレット
『菅生寺略縁起』 菅生寺現地案内板 |
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菅生寺は津風呂湖の近く、龍門山のふもとに静かにたたずんでいる。 |
本堂に祀る本尊の木造阿弥陀如来は1666年(寛文6年)南都仏師法敬の作。 |
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菅原道真は898年(昌泰元年)10月宇多上皇の吉野宮滝御幸に随行し、その折に龍門寺参りをしており、そのときに詠んだ歌「遊龍門寺」の碑が境内に建てられている(左の写真)。生誕はともかくとしても、当地を訪れたことには間違いない。1行目は『随分香花意未曾』となっており、傍らの案内板の訳では『応分の香華を手向けたいと思いながらも果たすことが出来なかった』とあり、父母の墓参りに来たとも受け取れないこともない。右は境内に祀る天神社。 |
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本堂の裏手にある墓地に菅生寺にゆかりの人たちが眠っている。
左より伝義淵僧正五輪塔(寺伝では義淵僧正の墓所と伝わる:13世紀代のものと推定。奈良県指定文化財)。
中央は中興開山快法院石塔:〔1816年(文化13年)80歳で入寂〕。
右が三輪寺の学僧で当山に移り、多数の経典を書写した慶円上人笠塔婆。
〔慶円上人は1223年(貞応2年)84歳で入寂。この笠塔婆は1336年(建武3年)4代弟子の昭海が建立〕 |
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役行者霊蹟札所 |
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[2005年5月10日参拝] |
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