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史 跡
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辻子谷の水車 所在地:東大阪市上石切町
最寄駅:近鉄奈良線「石切」下車、
生駒山の西側山腹の興法寺を経て、宝山寺に通じる辻子谷(ずしたに)越えの山道は、江戸時代以降、信仰の道として大いに利用された。
 この辻子谷を始め、生駒山麓の各谷では、当然のことながら谷川の水を利用して水車が設けられ、自家用として利用されていたが、江戸時代には大坂の商業発展とともに、水車を工業用として利用するようになり、昭和18年頃には生駒西麓一体では117輌の水車があったといわれる。
 特に、ここ辻子谷では谷の奥深くまで水車小屋が並び、寛永年間(1624〜44年)には胡粉製造が始まり、元禄年間(1688〜1704年)以降は和漢薬種の細末加工が増え、明治から大正にかけての最盛期には最大44輌の水車が稼動していたという。
 これらの水車は1914年(大正3年)大軌電車(現近鉄奈良線)が開通した後の電力普及とともに減少の憂き目にあったが、辻子谷では芳香成分を含む薬種加工が主であったため、他の谷より永く水車が残され1975年(昭和50年)頃まで細々と使われていた。
 現在では、各種機械製粉機の発達にともない伝統産業として、香辛料や生薬の粉砕行が続いており、この地区を通り抜けるときは、漢方薬独特の匂いが漂っている。
 辻子谷の往時のよき時代を語り継ぐため、地元の有志が中心となり、2004年(平成16年)11月に実物大の直径6mの水車を復元完成させ、2007年(平成19年)秋に完成した1/4のミニチュアの水車小屋とともに、辻子谷で活躍していた当時の様子が感じることが出来る。
 地球温暖化問題防止が叫ばれる現在、自然のエネルギーを利用した水車の復活も大いに検討すべきテーマだと考える。

[参考資料] 『現地説明板』 
2004年1月、慈光寺→興法寺→石切のルートで通ったときにはベニヤ板で実物の大きさが分るような水車の模型があった。
この年の11月に右側の写真のような実物大の大きさの水車が復元された。
2009年2月に宝山寺→興法寺のルートで通ったときには、実物大の水車が復元され、谷川の水で稼動していた。
1/4の大きさで復元されている水車小屋。 ミニチュアの水車小屋のアップ写真
石臼も動くように精巧に作られている。 復元された水車の前に、古い水車のパーツや、実際に石臼で粉末にしていた、生薬が展示されてる。

史跡-163/TTL-677

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