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史 跡
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所在地:大阪市都島区毛馬町1丁目 蕪村公園内
最寄駅:地下鉄御堂筋線「梅田」OR「中津」駅下車、市バス34系統「守口車庫行」OR 57系統「京橋」行きで「毛馬橋」下車すぐ
蕪村公園内には13基の自然石を利用した蕪村自筆の句碑が建てられている。季節ごとにゾーンが分かれ、公園を一周すれば、蕪村の季節ごとの代表的な句が、わかるようになっている。
 ただ、個々の句碑には解説板の類はなく、石に彫られている文字は墨入れもされていなので、年月の経過とともに汚れなどのため、解りづらくなるのは必至。これを見越しての配慮か、句碑には楷書書きのタイルが埋め込まれている。
[参考資料] 『蕪村俳句集』 尾形 仂校注 岩波文庫
蕪村の句が詠まれた年代については不詳のものも多くあり、異説もあるが、ここでは上記参考資料に従った。(年号に*印をつけたもの)
蕪村の句が取上げられている書籍
『俳諧古選』:1763年(宝暦13年)三宅嘯山(しょうざん)が刊行。
『蕪村句集 上下2巻』:1784年(天明4年)高井几董(きとう)編 几董は蕪村の高弟。蕪村の没後に刊行。
『蕪村七部集』:1809年(文化6年)菊屋太兵衛らにより刊行。
『蕪村遺稿』:1801年(享和元年)成 集者及び版元 塩谷忠兵衛

与謝蕪村顕彰施設案内板 蕪村公園に掲示されていた『顕彰施設案内板』。
園内に展示してあるパネルや、句碑の一覧表。パネルの左下の緑の図は句碑の建てられている場所を示している。
春の海 終日 のたりのたりかな 菜の花や 月は東に 日は西に
@「春の海 終日 のたりのたりかな」
この句が読まれた年月は不詳であるが、1762年(宝暦12年)以前に詠まれている。
1763年(宝暦13年)三宅嘯山(しょうざん)が刊行した『俳諧古選』に蕪村の句をこの句を始め、4句取上げて短評している。
A「なの花や 月は東に 日は西に」
『蕪村句集上・春之部』には前書に「春景」とある。
蕪村七部集の1つ、『続明烏 春之部』には、句会での発句として掲載されている。
高井几董の『宿の日記』には「1774年(安永3年)3月23日即興」と記されている。
遅き日の つもりて遠き 昔かな 夏河を 越すうれしさよ 年に草履
B「遅き日の つもりて遠き 昔かな」
詠まれた時期不詳。『蕪村句集上・春之部』の掲載されている。1775年(安永4年*)の作。
C「夏河を 越すうれしさよ 年に草履」
『蕪村句集上・夏之部』に掲載。前書に「丹波の加悦といふ所にて」とあり、蕪村は1754年から約3年間(宝暦4〜7年)、丹後に滞在。その間に与謝郡加悦(現京都府与謝野町)に住む知人を訪ねたときに詠まれた。
閻王の 口や牡丹を 吐かんとす 夕風や 水青鷺の 脛をうつ
D「閻王の 口や牡丹を 吐かんとす」
『蕪村句集上・夏之部』の掲載されている。前書に「波翻舌本吐紅蓮」とあり、1769年(明和6年)5月10日詠まれた。
E「夕風や 水青鷺の 脛をうつ」
『幣袋』に1774年(安永3年)4月15日、東山の紋阿弥亭の連句会で詠まれたと記載。
いな妻や 浪もてゆへる 秋津島 鳥羽殿へ 五六騎いそぐ 野分かな
F「いな妻や 浪もてゆへる 秋津島」
『蕪村遺稿』に載る。1768年(明和5年)7月20日、
八文舎句会での句。
G「鳥羽殿へ 五六騎いそぐ 野分かな」
『蕪村句集下・秋之部』に載る。1768年(明和5年)8月14日、山吹亭句会での句。
悲しさや 釣の糸ふく 秋の風 楠の根を 静かにぬらす しぐれ哉
H「悲しさや 釣の糸ふく 秋の風」
『蕪村句集下・秋之部』に載る。1772年(安永3年*)の作
I「楠の根を 静かにぬらす しぐれ哉」
『蕪村句集下・冬之部』に載る。1768年(明和5年)9月27日の作。
斧入れて 香におどろくや 冬木立 芭蕉去りて そののちいまだ 年くれず
J「斧入れて 香におどろくや 冬木立」
『蕪村句集下・冬之部』に載る。1771年(安永2年*)
11月の作。
K「芭蕉去りて そののちいまだ 年くれず」
『蕪村句集下・冬之部』に載る。前書に「笠着てわらぢをはきながら」とあり、芭蕉の『野ざらし紀行』にある句「年暮れぬ 笠着て 草履をはきながら」を念頭に詠まれている。1774年(安永5年より前*)の作品。
柳散り 清水涸れ 石処々 L「柳散り 清水涸れ 石処々」
『蕪村句集下・秋之部』に載る。前書に「遊行柳のもとにて」とあり、1743年(寛保3年*)下野国芦野(現栃木県那須町芦野)に赴いた時の作。

なお、余談だが謡曲『遊行柳』(室町後期:観世小次郎信光の作)の舞台となった栃木県芦野の現地には西行法師「道のべに 清水流るる 柳かげ しばしとてこそ 立ちどまりつれ 」の歌碑や、芭蕉の句碑「田一枚 植て立去る 柳かな」蕪村の句碑「柳散 清水涸 石処々」が建てられ、観光スポットとなっている。

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