この『九里橋』の由来は浜松宿と掛川宿から共に九里ということらしい。 鮮やかな朱の九里橋と淡いピンクの桜の花、その先には急勾配の参道がある。 いよいよこの『塩の道』最大の難所『秋葉山越え』だ。 標高差は700メ-トル、これを一気に登らなければならない。 (2241歩) |
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旧旅籠街前の急勾配の坂道を歩くこと15分、ここが海抜200米地点。 横には六丁目、三河屋茶屋跡とある。 これから更に600米以上登らなければならない。 |
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相変わらずの勾配だ。 200米地点から12分で登る。 スロ−ペ−スだが体力の消耗を抑え、ゆっくり登ることにする。 |
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横の立て札の説明文抜粋。 表参道に残る常夜燈の多くは嘉永五年(1850年)2月の開帳時に奉納。 この十三丁目の常夜燈の寄進者は金原久右衛門。 すなわち金原明善の父君である。 |
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眺望はよくない。 200米地点から10分、多少勾配は緩やかだったのかな。 歩数はとみると 4330歩だった。 |
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相変わらず木立の中の参道をひたすら歩く。 ここまでまだ誰とも出会ってはいない。 もう一度歩数の確認をすると5036歩だった。 |
信玄の腰掛けた岩と書かれた案内板。 足神神社から青崩れ峠に向かう『塩の道』にも信玄の腰掛岩があった。 ここまで6470歩だが歩数の割には疲れる。 |
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奈良時代(718年)僧行基により開かれた山岳修験の道場に通じるこの参道。 以来、多くの人たちがこの道を踏み固めてきたことを思うと、感慨深い。 |
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704米地点に到達、息切れする、三尺坊はもうすぐかな。 (三尺坊は遠州における天狗の元締め的な存在、白狐の上に直立し、背に鳥の両翼をつけ、飛行自在の神通力をもっている ‥‥ 三遠信の山歩きより抜粋)。 |
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やっと山門が見えてきた。 秋葉山は明治以前は秋葉大権現と称し、秋葉社と秋葉寺が存在し両部神道、明治以降神仏分離によりそれぞれが独自の道を歩むようになったという。(三遠信の山歩きより抜粋) |
再び歩き始めると秋葉寺の裏が海抜800米であった。 ここから目指す秋葉神社は距離で800米位か。 当面の目標がぐっと近ずいた気がして心なしか足どりも軽くなる。 |
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前方に神門が見えてきた。(天保2年(1812年)6月28日再建) 神門脇の立て札には、この秋葉神社の神門は昭和18年の大火災で類焼を免れており、秋葉山として栄えた江戸時代の俤を偲ばせる唯一の随身門と記載されている。 歩数は8337歩。 |
車のお払い場所から第3駐車場への近道が『塩の道』。 第3駐車場に出ると前不動まではほぼス−パ−林道と並行して歩く。 暫く歩き上を見ると鉄塔(アンテナ)が右手に見えるが更に歩き続ける。 こんどは左側を見ていくとモニュメントを見つけることが出来る。 相良の起点より20番目のモニュメント、そして後方にあるのが前不動二体。 土曜日とあって秋葉神社は登山者、参拝者で賑やかだったがここは静かだ。 (ス−パ−林道は4月中旬まで車は通行閉鎖)。 神社から45分程度、いよいよここから裏参道に入る。 歩数は13310歩だ。
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覚悟はしてきたが裏参道入り口は荒れており、藪こぎの連続だ。 万が一の場合は引き返そうと、枝に目印のテ−プを貼り付けながら歩く。 15分位下ると少しずつ道らしくなる。が、それにしても獣道に等しい感じだ。 (前不動からここまで気持ちに余裕がなく、写真撮影をしなかったことを反省)
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沢に架かる橋が朽ちている。 一旦沢に下りて再び対岸に登る。 疲労困憊の中、これは辛い。 沢(老朽化した橋)は3回渡るが、その内二枚の写真を掲載した。 またこのあたりで、2〜3回林道を横切って歩いた。 |
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再び沢に出るがやはり橋は朽ちていて渡れない。 この時期、雨量が少ないので比較的容易に沢を渡れる。 藪こぎ、朽ちた橋、そして山蛭など、この裏参道には行くてを阻むものが多い。 凍結する冬、蛭の出る雨季、熊笹の覆い茂る夏などは避けるべきだ。 |
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前方に八幡神社らしき建物が見えほっとする。 この先辺りが千代部落か。 ここまでくればもう迷うことはなさそうだ。 あとは日入沢集落付近のモニュメントを捜し瀬尻橋を目指そうと思う。 歩数は18040歩となっていた。 |
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八幡神社横の塩の道沿いにある石仏群。 塩の道沿いでこれほど多くの石仏をみたのは初めてだ。 |
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石仏群の地点から下には茶畑と民家が見える。 やっと生活の息吹を感じる風景に出会えてなぜか嬉しい。 |
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八幡神社を一段下がったところから撮影。 集落の家並みと舗装された道路。 この一画以外には民家はなさそうだ。 |
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この集落からカメラを下に向けるとはるか遠くの方に天竜川が見える。 バス停はあの天竜川沿い。 とすると、まだ1時間以上歩くかも知れない。 |
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集落付近から再び『塩の道』の旧道に入る。 少し歩いたところに廃屋があった。 |
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前不動から八幡神社までの獣道とは違い、歩きやすい道だ。 ひょっとしたら今も集落間の生活道路として使われているかも知れない。 この下の集落は日入沢(ひるさわ)部落かな?。 |
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千代部落から日入沢部落と下りてくる。 この『塩の道』を歩けば15分程度だが、車道はかなり遠回りをしないとここにはこれない。 写真、右下にわずかに見えるのは車が通る舗装道路。 |
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ここで車道と合流する、下り立ったところでふと見上げると石仏がある。 旧竜山町からいただいた資料には道祖神と紹介されていた。 かって村の入り口に守り神として祀られた道祖神が一箇所に集められている。 (後日訂正 ‥‥ 観音様などの石仏と道祖神が12体)。 鉄格子?ひょっとしたら盗難よけかも知れない。 |
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本日『第6ステ−ジ』の目標地点『日入沢』に到着。 秋葉山を登りは息切れの連続であったが、今、疲れはそれほどでもない。 むしろ、足腰のダメ−ジは相良〜代官屋敷を歩いたときのほうが大きかった。 この『塩の道行脚』で多少体力がついたのかなと勝手に思ってしまう。 ここまでの最終歩数は19938歩 30分休憩(14時20分出発)。 さて、ここからまだ瀬尻のバス停まで歩かなければならない。 |
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瀬尻橋がみえてきたところで民家があった。 突然『なんで-、釣りに行くのけ−』と言う声。 振り返ると民家の軒先に土地の人が居た。 どうやら私の杖を釣竿と間違え土地の人と勘違いをしたみたいだが、ここで話が弾む。 昔はこんな風だったとか、今も鹿や猪がでて野菜を食い荒らすとか。 そして『橋まで歩くならこの畑の中を歩いて行け』と教えてくれた。 若いときはいつも歩いた道だ、と教えてくれた道は確かに近道だった。 |
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本日『第6ステ−ジ』の最終目標地点に到着。 バス停に行くと13時33分の次は16時36分、まだ1時間半ほど時間がある。 仕方がない、桜でも眺めるかと川岸をぶらぶらする。 裏庭で仕事をしている人に挨拶をすると『どっからきたで-』と聞いてきた。 ここでまた話が弾む。 川の中に残っているあの橋脚は今は湖に沈んだ吊橋のの名残り。 そして自分達の家もダム湖に沈み、今ある場所に建ててもらったという話。 時の経つのを忘れ聞き入ってしまった。 本日の最終歩数は 22463歩。 次回『第7ステ−ジ』はここ瀬尻橋から西渡までを歩く予定。
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参考記録。
歩行距離 秋葉山を一気に登る 垂直距離700メ-トル 水平距離は4キロ程度か。
歩数 塩の道 19938歩(総歩数(瀬尻橋まで) 22463歩)。
歩行時間 約5時間30分程度(ふれあい公園〜竜山・モニュメント 含、休憩)。
歩行時間 40分程度(モニュメント〜瀬尻橋)。
交通手段(往路・帰路) 遠鉄バス
天竜営業所発 〜 春野ふれあい公園下車 7時22分発 所要時間(30分程度) 料金 630円。
瀬尻バス停発 〜 天竜営業所下車 16時36分発 所要時間(30分程度) 料金 630円。
(本数が少ないの要注意 この前のバスは 13時33分)
資料 ガイドブック『塩の道ウォ−キング』他・竜山地域振興課マップ。
<歴史・文化・e.t.c>
裏参道以降、ほとんど人には会わなかった。
そんななか、会えば必ず声を掛けてくれた土地の人たちとの心温まる会話がうれしい。
限界集落ともいえる風景がここにもあった。
さて次回の『塩の道』、取り敢えず瀬尻橋からモニュメントまての逆戻りから始まる。
(標高百メ-トルの逆戻りはロスタイムか)
(訂正 第7ステ-ジで測定したところ高低差は 240mでした)