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直江兼続
2009年の大河ドラマは直江だそうだ。
史実とはかなりちがういい人に脚色されるのだろう。
ウィキにもあるように{少し長くなりますが引用}
文禄元年(1592年)からの朝鮮出兵においても、景勝と共に参陣して武功を挙げた。上杉領となった庄内地方においても大宝寺城の改修や、一揆の制圧などを取り仕切った。
天文元年(1532年)には砂越氏維によって大宝寺城は焼亡し、当時の武藤大宝寺氏当主の晴時は本拠を大宝寺城の西にある尾浦城に移した。そして大宝寺城はその支城の一つとなった。 その後、越後の上杉(家臣本荘繁長)氏と手を組み、武藤氏は庄内地方の統一を果たし、武藤義氏の時代に最高潮に達した。しかし、義氏は天正11年(1583年)、最上義光と結んだ家臣の前森蔵人(東禅寺義長)とその弟・勝正らの謀反により自害に追い込まれた。その後、庄内地方は上杉氏と最上氏の争奪の地となり期に乗じた上杉景勝によって、天正16年(1588年)あっけなく併呑された。
上杉氏もまた、尾浦城を庄内地方の本拠とし大宝寺城は支城とされた。天正18年(1590年)検地を行った際、これに抵抗した地侍を中心に一揆が起きた。この時、大宝寺城番芋川正親は城を守りきれず落城した。一揆の鎮圧にあたった直江兼続は大宝寺城の修復を行い越後兵を常駐させた。
{以上引用 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AE%9D%E5%AF%BA%E5%9F%8E より}
で、この方3年もすると佐渡金山の代官を仰せ付かったり、更に3年後には米沢に30万石程で移転する。まさに動乱、というより転勤族。義だの愛だの言うがあの頃の時代では結局自分の周りの人のための義であり愛であり、どなたか仰るには「リストラもせず120万石から30万に減らされても頚を切る事はなかった・・・云々」
鶴岡に居た民は、米沢に居た民はどうなったか、とか行く先々での人たちがどんな目にあったかなどはあまり言われない。
新しい事を始めるには古い物を壊さなければならない、古い物は悪い物とされ忘れ去られる。
そんな時代ではあった。

フリー(無料)マガジンとはいえ掲載までフリー(勝手)?
月刊ローカル、その名も「ブルーム」http://www.bloom-net.jp4月号花にこじつけ、また無断掲載。
管理人の心労など気にもせずやってくれました。
掲載の場合はご連絡下さい とメールを差し上げたのですが未だに返事がありません。080605

他の出版社でしたが去年は表紙にまで無断で使用され、もし重版の場合は版を差し替えてくれる事になりました。
結果。初版の価格は・・・このページ下070323日の記事からアマゾンへ・・・ビックリしたよぉ。
も一つ、表紙見直したら一番下に「庄内を遊ぼう、庄内をもっと楽しもう」とある。
「庄内を遊ぼう」はこちらが元祖本家大本家元。こちらも・・ご挨拶してるのかなぁ? 気になる。080605  

こちらからのリンクがあちこち切てる。
理由は、鶴岡市が合併したから。東北で(本州で?)一番広い「市」になったらしい。
(それまでは確か」「いわき市」だったよ。)
突然今まであったコンテンツがなくなりました、こちらから勝手にリンクしていたページ、「リンクに関する考え」はリンクのページへ)
文化財に関して質のいい素晴らしい解説があるページなどが突然消えてしまったのだぁ。
「 組織は大きくなると自己崩壊してしまう・・・・・・」私の持論ではある。
旧鶴岡市の「みゆきばし」というBBS、他の町では絶対に真似できないような自由な発言の場所、
市の発展のため、50年100年先の事を考えている市民の発言の場所でもあった「みゆきばし」
これもとても惜しい、残念!。市民が考えている事は知りたくないと言う誰かのスタンスなのか・・
最近、t-townも閉鎖されるらしい、このリンクもいずれなくなるのだろ。
このt-townも素晴らしい!!他の自治体にはに見ることも出来ない様な素晴らしいサイト。
「市」は何を考えているのだろう。進歩はイカン!組織がデカくなればそれだけでいい。(?)
私立の大学に年間(毎年)3億円支出、
市の玄関に「さびれゆく物も美しい」というコンセプトの錆びた鉄塔。
市民が出した血税が使われている。
あ、だめだ!!今日は飲みすぎたかも・・・・ブログでも作れ  ってか?
あ、だめだ!!!文体がいつもと違う、地が出た。 071224

鶴岡にもこんなサイト(福島県石川町)が欲しい。071221

表紙一番下のアクセスカウンター。
特に理由はないが気分で4桁だったのを6桁に表示を替えた。
三千そこそこだったのでこんなものだろう、
本当にローカルなサイトなので誰かが興味もって見るかなど
考えずにいた。
6桁に替えた途端に十二万などという数字が現れた。
まぁビックリ。
注意して見たら日に三十件ぐらいのアクセスがある。
誰が見てるんだろう? 071213

別の賽銭どろ、07年09月01日22時30分頃推定被害額1300円程。
暗い場合、近づくと赤外線センサーが動物を検知、ライトがつく、
ついでに監視カメラの映像を記録媒体に記録する。
ライトがついた時点で普通はライト、カメラを見つけるのではないだろうか?
監視カメラのせいで無駄な仕事が増えた感じ。 070903

22日 賽銭ドロ 捕まった。
私が坂を下りようとしたら、すぐ下で自転車に乗ろうとしていた不審人物あり。
背格好から怪しいと睨んだ。(先ず間違いない!)
鳥居から前の新山口までの道路直線なので他に曲がる心配はない
こちらは車だし、余裕で公園交番に連絡、転送され出たのが本署。
あちらは内陸の方、地理不案内。
細かに容疑者挙動服装を電話しながら・・・
電話しながら、「今運転中だけど電話繋げててもいいですか?」
「ダメだけど ま、しょうがないですね。」
養護学校裏あたりで覆面パトから自転車を止められる。
私、携帯架けながら不審な行動を取っている運転者?
気が付かなかった。私が付けられていた?
「本署と話していたんですよ」結局パトは6台も来てしまって大騒ぎ。
カレ、40は過ぎてる。
非常に細い、賽銭箱の隙間に手が入るんだものね。
若い婦警さんが一人いて被害額の確認やら返して貰う(盗まれた)金額の確定やら
でお世話になったけど、彼女に「生活保護でも受けてるのかなぁ」とかぽつりと言わせる様な風貌。
う〜んやはりそう見えるよ。
カレは最初は否認していたらしい、後 画像がある旨話したら諦めたとか・・・
鶴岡病院に通っていて、物事忘れるといううらやましい病気らしい。
と言う事は 又来るかも。カレの個人情報少し聴いておいた方がいいかなぁ。

ついでに下の2100円事件のことを話したら「業務上横領ですね。」
業務上横領、被害者は誰だ? 070731

最近ろくな事件が起こらない。

三十三観音巡礼、印代150円也×人数(今回は14名?)分。
内陸の旅行会社で置いていかない事がある。
有限会社朝○観光 0237-68-**** 西村山郡朝○町大字玉ノ井 です。
2100円だけのことではなく、
善心でお参りされる方からの横領みたいなものだと思うのです。
あなたの心中はどうなってるの?
平成二十年はそちら地元の最上三十三観音ご開帳がありますね。
http://www.mogami33.com/の事務局に報告しておきますっ。070706

今日は楯○交通添乗員 本堂扉開けっ放しと業務上横領。今日は会社に電話した。070901

地方新聞ですが今最上観音三十三箇所巡礼の連載が週一度掲載されています。
この新聞は以前「十七世紀の牧師の豪華な衣装」という文が載っていましたから、
これに限ったことではなく、時々面白い表現がされることがあるのでそう珍しくはないのですが、
今回は写真とコメントが違ってますね。
070701
先週またあった。十一面観音の写真に聖観音というコメント一々つき合っていられないや。070901

困った事に賽銭泥棒発見!!
去年監視カメラを付けたのです。日中居なかったり、
本堂が遠かったりで誰が来るのか分からない状態なので。
万が一何かあった時のためにと思い付けた訳ですが・・・
まさかかかるとは。(カカカといえばお地蔵さん。 被害は観音様でしたが、)
さて、ドロボーさん。
まず入道本尊正面に正座、祈願する。
「観音様お腹が 空きました。何か食べたいです。お金を恵んで頂けませんか。」
三礼。
立ち上がり左の札打ち(巡礼)の判を押す場所に行く。
(ここは朱印代金一人150円也)代金が置いてあったりする。
旅行会社などの場合封筒のし袋などに入れ置いていくこともある。
それから畏れ多くも聖天様の前で物色、その後開山堂へ。
堂内には各檀家さんの位牌が置いてありそれぞれお参りに来て
場合によっては百円玉を棚の上に載せておくことがある。
正面の賽銭箱は上に格子があるだけで中が見え
ひっくり返せばすぐお金が出てくる。便利な(?)仕組みになっている。
開山堂ではしばらく時間がかかり最後に正面の賽銭箱へ行く。
さこの賽銭箱は賽銭投入口が一画めと二画めが少し隙間の空いた
”y”の字型のもので隙間が他と比べてすこーし広い、
と言っても普通の(私、他かなりの人が試してみましたが)
大人には狭すぎて手は入らない。
当日は不在の時に札打ちが来て印代をのし袋にいれ
その賽銭箱に入れておいてくれたらしい。
(被害額=22名×150円=3300円也 他額不明)
終わると 退堂。 正面階段を降り。2〜3歩歩き振り向く。
合掌三礼「観音様、ありがとうございました。これで生きられます。」
観音様やさしいなぁ。
でもその後もう一回来てるし、その前も来てたよね。
無駄のない行動パターンが一緒だからもっと前も来てたよね、多分。
霊験あらたかなんだからまたおいで。(なんて言えないよなぁ。)070619


無責任と感じられました。
以前のTVアサヒ夜桜中継の馬鹿騒ぎ、
喧噪が去ったあとの庭、境内の悲しいほどの荒れ様。
木の保存のためにはしてはいけないことの連続がまた起こる様な。
無断掲載の件ですが、こんな凡例がありました。
http://www.jfpi.or.jp/property/about/pdf/no9.pdf
http://www.u-pat.com/h-7.htm
裁判所やお役所は杓子定規。
そんなことより、
子孫のために文化そのものと文化財をいい状態で残すのが
今生きている私達の使命です。 070328

『冨山県の堀さまからのメールより抜粋』
井岡寺のしだれ桜は、私は文化財だと思います。
文化財は国民共有の財産です。
この桜は管理されて今があります。
管理してきたのは、井岡寺です。
それを支えた檀家や村の方々。
伝統という文化。
花を愛する方々の苦労の末に毎年花を咲かせる桜。
これを、個人の営利目的での無断使用は絶対問題があると思います。
070326 (堀様:冨山の中世に詳しく著作も多い方です。)

個人的に写真としてはH15.03.31九段北のリヴロ工房発行
石沢誠著「わが庄内」の写真が好きです。
余計な物を写さず、にもかかわらず雰囲気、空気全体を想像させるような、
もっとも美しい光、瞬間を切り取っている。 庄内の自然が大好きな、良く理解している
「解る」と言うより「馴染んでいる」でしょうか、 人柄がにじみ出してくる写真集。 070325

『勝手に表紙。』
桜のことで最近非常に不愉快なことがあった。
先日07年03月21日
「山形の桜」という写真集(amazonへ)が出版されていたのをある書店で発見した。
なんと、表紙で使われている。目立つ。
こちらから依頼した訳ではない。普通このような場合は挨拶がある。
(ネットの場合はあるとは限らないが、普通はリンクの知らせなりの挨拶がある。
ない場合はやはり失礼になる。)
これこれこういう本でいつ頃出版という「企画書」を撮影前に見せてもらい
所有者が撮影に同意する。
出版されたら2〜3冊挨拶状と共に送ってくる。或いは挨拶に来る。
今回は文化財としての記録とかでもなく公的な刊行物でもないし、
かといって非常識なマスコミのニュースでもない。
例えそうだとしても(所有権というものがあるので)挨拶は当然のことだ。
まして今回は営利目的で本人と出版社が得するだけの普通の写真集である。
また、この本には問い合わせは鶴岡市の観光課に問い合わせすべしとある
こちらは観光寺院ではない。
市の観光課には積極的な案内はしないでくれと言ってあり、
了解して貰っている。
おそらく観光課にも出版のことは伝えていないのであろう。
今回は会津の出版社の様だが、かつて庄内とは同盟を結んでいた訳だが、
会津には今や礼も義もなしか。
人が来て荒らされるのは迷惑だ。
可笑しいことに、この本には注意書きとして寺社、私邸、公園など
公共施設内にある場合が多く、観桜する場合はマナーを守られたい等ともあるが、
特にカメラを持った連中のマナーの悪さが筆舌出来ない。
おばちゃん達もそれに負けじと柵の中に平気で入っていく。
老樹で花の時期に根が張っている土を踏まれては樹木としても困る。
心洗われる景色のはずなのだが一部の心ない人たちのおかげで、
そんな気持ちも台無しになってしまう。
京都洛西の苔寺西芳寺にしても観光客は入れなくなって久しい。
寺は静かであるべきだ。

おまけに、
某有名作家の事も解説文にあったがあろうことか名前を間違えている。
それもとても失礼な話だ。                    070323


六供あたりの杉を伐採しました。
数本例外的に108ほどの年輪を数える事が出来るものもありましたが
殆どが50年ほどの樹齢です。 枝打ち下刈りなどの手入れもしていなかったので、
毎年何本か風で墓地に倒れます。危険です。
民家も近くにあり電線もすぐ近くを通っています。
杉花粉、檜も花粉。
伐採した跡はしばらく自然に任せましょう。
私が子供の頃は栗鼠も居ました、ムササビも居ました、狐も、狸も、野ウサギも。
数十年したら雑木が育って、帰って来ないかなぁなどと考えています。
もう手遅れかもしれませんが、ここだけでもせこせこしないゆったりとした
時間が過ぎればいい・・・。061120

歴史というのは「定説」がある訳ですが、
「定説」も「俗説や伝説」の方が正しかったなどと言うのは良くあることです。
調べてみると現場(職人)の方達の方が正しかったなどと良く聞きます。

先日と言っても四月のことですが、面白いことがありました。
鶴岡市の文化財に指定されている枝垂桜ですがサイト内にあるとおり、私どもでは樹齢四百年と申し上げております。
言い伝えでは及栄上人が慶長の末期に京都から持ってきた。と伝えられております。
当然苗でしょうから慶長からあったと考えてもいいと思います。
2代目という可能性も棄てられませんが。
市の文化財主査という肩書きを持つ方がお見えになったので、「なぜ市の指定では160年程の樹齢としたのですか」と伺いました。
「資料を見ないと即答は出来ない。」とおっしゃいますので、調べて連絡して頂く事になりました。
しばらくして封書が届き、返答は「判らなかった。なお、インターネットで調べたら桜の寿命は6〜70年の様です。」と記載されていました。
この書類は文化財指定書と一緒にして保存いたしております。0610

「荘内人名辞典」やっと買いました。いつでも買える物なのですがついつい今になってしまった。3500円が惜しかった訳ではないのですが。なんでもっと早く買わなかったんだろう。0601 

基壇改修の為一時期お地蔵様には実家に帰っていて頂きましたが、05年7月10日戻って頂きました。

賽銭箱には浄財「清らかなお金」正当な理由で手に入れたお金とでも言うか、清らかな物を清らかな右手で入れて欲しいから右なんですね。
(まぁ、右利きが多数ですから右の方がお金を入れやすい・・・?)
昔からインドでは右手が清浄で左手が不浄とされています。理由はよく判りませんが右手でご飯、食事をします。ご存じの通り箸は使いません 素手です。
左手はというと「う○こ」を素手で拭き取る方なんですね。不浄な訳です。
常に右手はきれいな手だよ、左は汚い手だとよく教えておけば あの暑い所でも食中毒なども起きにくいですね。 そんな知恵が昔からあったからではないでしょうか。0507

まぁ、日本では左大臣の方が上席だったりしますが、浄財ですから賽銭箱は右に置くのが定石でしょう。
この賽銭箱、曰く付きでして、今回のは5万8千円ほどした、と住職が申しています。頑丈な物をという事のようです。
以前あった物は奉納された物だったのですが、行方不明になったままです。中身はホンのわずかったったはずですが本体はいい物でかなり高額だったらしいです。住職はとても残念がっておりました。

位置に関しては 石勘さんには申し訳ないことしたかもしれませんが、 一応打ち合わせの席でも右と申し上げたはずですので あしからず。050711

 寺田円蔵院の仏像群について。 (未完)半時も前に考えたことを 今頃UP。(歴史の流れで半年ぐらい・・・さぼったって・・・。)050526

 お地蔵様の敷地の整備をします。7月には綺麗になる予定です。050404

 暫く このページ開いていなかったけど、一年以上経ってるんだなぁ。って随分のんきかもしれない。でも今年は忙しかったなぁ。ま、色々ありました。
いいこと=お知り合いになって良かった方が何人もいらっしゃいます。  悪いこと=私的にも怪我したり病気したり。

 少し古い話ですが、中世のページで引用させて頂いている右衛門太夫さんと知り合いになり楽しい時間を過ごすことが出来、BBS開設もしてしまいました。他の寺院を見て回るのも勉強になります。勿論文献も大切ですが自分の目で見て確認・考えないと机上論になってしまいます。江戸末期の略縁起UPしましたがこれはこれで面白いですね。040907

 表紙の目立つところからの別院へのリンクも外したし、(扁額または他のページのプルダウンからどうぞ)いつもの静かな寺に戻る・かな?。040430

 やはり土手(崖?)登る人がいるんだなぁ、無粋承知でトラロープ張っていましたがそれでも。下記野次馬さんに特別リンクして頂いていました。アクセス急増。桜も散りやっと落ち着いた日々が。別院編集中 画像を大きくして圧縮して、JPGに直リンクだと広告が付かない、HTMファイルだと広告がうるさい。040421

 5Mではアルバムも無理ということで、無料ジオシティーに15M、広告が付く。でも足りない、あと2日でファイル軽くすることを考えないと・・・(JPG圧縮!)。040406

 会社には花茶屋のチラシが郵便で届いたり、鶴岡公園ではぼんぼりがついたり、だんだんお花見モードに入ってきました。ファイルも重くなってきたことだしアルバムはせいぜい12枚程度が限界、出来るだけ更新するようにしたいと思っていますが、過去のも残したい。無料サーバーへ引っ越し考えないといけないか・・・。今日も風がある接写 ピンが来ない。040405

 とりあえず、‘枝垂れ桜’アルバムUP 過去の訳ありで汚い写真ですがですが、今年は15日頃が満開になるのでは?と推測。撮れ次第順次差し替え予定。040323

 びっくりしました。資料にはなると思っていたので、「明治期の人々」という仮題でUPしていた「原口祐之」の御子孫の方からメールを頂戴しました。異説はあるそうですが生没年が判りました。下のサイト以外では宣伝はしていなかったのですが、検索ロボット君が拾ってくれたようです。メジャーになった?自己満足の世界とはいえネットやってて良かった。040224

 野次馬=yosikichiさん(2004.01.20アップ こちらからもリンク返しじゃぁ〜)からリンク大宣伝していただきました。おかげさまでアクセス増えています。自己満足で作ったサイトとはいえ有り難いことです。気をよくして(ついでといっては何ですが)この際画像も頂戴して「地名など」に中坂の昔の写真を載せました。現在は見られない風景です。比較してみて下さい。(最近自分で撮らなくなってしまった。反省)040129

 リンク集手直し、増えました。少し前に鶴岡市のBBSで私のリンクの仕方に問題があるのでは、とのご指摘がありました。いまだにどういう意味なのか不明なのですが、ご要望、ご意見は直メールでお願いしたいですね。031118 

 庄内智山派寺院縁起にmap追加。他も少し手直し。票と違って‘表’は重いなあ。

 来てくださいなんて言うものの、来られちゃ迷惑と内心思っている住職。(私も)これからの季節観光でもあるまい、見るほどのものもない お宝は未公開じゃ。ココだけの話注○寺さんなんかも冬は閉めたいけど客が来るんだとか、僕同様彼もあまりボーズ業乗り気ではない?桜の季節は増えた(困る)ウチは拝観料取っている訳でもないし、庭は踏み荒らされるし“保護”のためには最悪でしょう。(その意味でもアクセスカウンターは増えなくてもいい?)リンクページにサイトマップ追加 全部この方が見やすいかな?様子を見よう。031031

 久しぶりに更新、真言宗というのは歴史だけは古い。他寺院の縁起をup。井岡だけよりも少し広がったぞ。庄内から出て行くつもりはないけれど。HP持ってるのは注連寺さんだけなのは少し寂しい。僕と違ってみんな忙しいんだろうな。031030

 資料を少しUP中世末期義光関係。城郭寺院から入って下さい。伝聞を記した二次的資料のためホントかいなと又しても“?”マークが付いてしまうのだけれど、無いよりはマシ。黒印状は残っているんだけどなぁ、最上氏が改易されなかったら残っていたかもしれない。その時代コピー機はなかった。残念。似た様な資料はこのページにまとめてしまう予定。目次つけるか、リンクもめんどくさい。031021

 何気なく護摩堂の屋根を見たら、やっぱりあった16弁の「菊」の御紋が・・・。開山が皇子さんだからなのだろうけど、いつから使っていたものやら、明治に瓦葺きになったのだけれどその頃は使用制限が厳しかったはず。これは個人的な「橘」なんぞ使ってられんわい。と言う訳でお寺の紋は四っつあったのです。(スクロールも小手先使っちゃった。)031015

 うぷ したらしたでタグが気になる。 ワープロソフトで表作ったものだから・・・修正したら1/3の重さになった。めでたしめでたし。お気に入りに追加して下さった方もいることだし。それはいいけど本来の中身の修正が追いつかない、した方がいい部分も相当あるのだけれど・・・。壁紙ですが「七五の桐」は最上家、「酢漿草」は酒井家、「丸に井」は駅の傍じゃなくて寺、「橘」はウチの紋です。個人的には「桔梗」なんか大好きなんだけど本山と一緒なのがいやだなぁ。DF隷書って皆さん(ここのタイトルがゴシックになってる方)あまり使ってないフォントなのかな? 031010

 ご挨拶を兼ねて。  COBOでございます。井岡寺の長男某です。このHPは表紙にもかいてありますが、全く個人で作ったページですからすべての文責は私にあります。  仕事(ボーズ業ではない)の合間にこつこつ2年はかかっています。3年ほど前にパンフレットまとめてみろと住職から下命がありまして、次いで小雑誌もと言うことだったのですが、一太郎と言うワープロソフトはドス機の頃から使っておりましたので、小雑誌風のものは作ってみたものの、何せ予算のない法人でございまして、いまだに出来ておりません。  そこでまあ、HPだったらおまけのソフトもあるし制限は少ないし安くできる、自分でつくっちまえということで、なんとか今回の‘うぷ’でございます。画像が汚いだの色々ありますが まあ暇を見つけて、ちょこちょこ更新できたらいいとは思っています。Javaだのなんだのは小面倒くさいし、どうなることやら。(独り言というより愚痴ばかり増えそうな気もする)  最後に、いやな顔もせずにつきあってくれた“ototo”さん始め、激励して下さった方々にこの場で改めてお礼を申し上げます。  030927