序文 わが国における観音札所霊場は、人皇第六十五代花山法皇が、衆生済度の思召しによって関西の地に、三十三ヶ所の観音札所霊場を造り、自ら御詠歌を作製して、観音菩薩の妙智の力によって三十三身に変化して、我等の罪業を消滅し、その利益(りやく)に浴せしめんがために、発願せられたのがそのはじめであるといわれている。 |
首番 平和観音首番 羽黒山 荒沢 聖観世音 ひとのよの ねがひもつみの やまふかく のぼればきよき のりのつきかげ 当寺の開山は人皇三十五代崇峻天皇の御子贈溢照見大菩薩といわれ、その創立は今を去る千三百五十年前、推古天皇時代で羽黒山最古の寺院である。開山蜂子の皇子勅 照見大菩薩の別修業の跡に足長(最高位の人)弘俊が一宇を建立し、開祖の恩沢を記念して広沢山荒沢寺と称し、羽黒山八大伽藍の随一となる。後に役の行者神慶大菩薩並弘法大師などもこの地で修行せられたので開山大士が、湯殿山大日如来の和魂(ニギタマ)を地蔵尊とし、荒魂(アラタマ)を不動明王としして祀り、湯殿山御宝前鎮火大権現ともいわれ、特別の崇敬を受けた霊地となり、羽黒山奥の院として女人禁制の聖地となったのである。 今でも境内には芭蕉翁の筆になる「是より女人きんぜい」と大きな石牌がある。明治維新の6syounai33kwannonengi.html際、羽黒山と月山の参道に位しながら、佛地で残ったのはこの霊地が如何に尊崇されるかを証明しているものである。 (東田川郡羽黒町手向) 第一番 平和観音第四番 第二番 平和観音第四番 第三番 平和観音第九番 第四番 平和観音第十番 第五番 平和観音第十四番 第六番 平和観音第三十一番 第七番 平和観音第二十八番 第八番 平和観音第二十九番 椙尾山 地蔵院 千手観音 いつのひか またうままちの ぢぞうゐん うまれあわせし けふをよろこべ 当時の開基は犬祭で名高い大山町の椙尾神社の創立と同じであると傳えられている。椙尾神社が神仏合体して祀り、繁栄を極めていた時代に坊が六坊あったといわれ、地蔵院の前身は六坊の一つで主坊格であったらしい。 明治維新に神仏分離とあんり、六坊あった坊は地蔵院を除いて全部廃止となり、当山だけが独立したものである。 その当時の住職であった晃順和尚が明治二十年七月に本堂再建を志し、椙尾神社氏子二町四十八村を所有して信徒とし、毎年守護札を配分して十万信徒の浄財を仰ぎ、氏子有志とともに越後の国から五葉松材を購入して建立したという。このためこの観音堂を五葉松殿ともいわれている。当山の本尊は四国三十三所の内、山城の国清水寺の本尊千手観音の分霊を勧請して安置して霊験あらたかな観音像である。 (東田川郡大山町馬町 電車善法寺駅) 第九番 平和観音第十七番 湯殿山 大日坊 聖観世音 ちかいおく あまねきみなの みほとけに こころをこめて ねがへおほあみ 弘法大師が湯殿山を開かれた際に、湯殿山付近の道林で険(険は山偏・嶮)岨で参詣に困難と考え、参詣の道にこの地を選ばれ、湯殿山大日御滝の不動を勧請して開創された。 当時、当山の秘軌を流通しようと考えた沙門が来て、大師より則戒を授かったという。当山の本尊胎蔵界大日如来は弘法大師の作といわれ、開帳を禁じられている。 本尊の前立になっている大日如来は徳川三代将軍の春日局の寄進と傳えられている。本堂に祀られている即身佛は、当村越中山の進藤仁左衛門という。当山の観音は元和年中当時住職慶範和尚が西国三十三観音を勧請して境内に安置した。後元禄に入ってから城主酒井忠真公の御内室が奉納された本尊と共に百体観音を安置している。 (東田川郡朝日村大網) 第十番 平和観音第二十一番 創立は今を去る五百六十四年前の応永二年で、岩手県“永徳寺”二世湖海理元(こかいりげん)和尚の創草(草創)といわれる。総丈一丈一尺もある大観音の胎内佛として安置されている。もともとこの霊佛は葛西家の御内佛で、大本山総持寺高尾観音堂のご本尊といわれている。 第十一番 平和観音第三十番 曹洞宗円通寺は今を去る五百数十年前の天和三年に越前滝沢村から大叟禅乗(たいそうぜんじょう)という大和尚が巡錫にきて山根に開山したといわれている。このあと寛保二年に火災で焼け、翌三年現在の麓に移轉再建された。同寺の御本尊である聖観音は、作者は不明であるが、衣紋模様や彫刻の深い御容相から受ける感じは全く神々しく、御前にぬかづくとしばし冷厳な感じにとらわれてしまう。これは室町時代の名作といわれている。 第十二番 平和観音第二十番 当寺は今を去る五百数十年前、南北朝時代に月庵良円禅師によって開かれた。庄内の曹洞宗寺院では最も古い歴史を有し、末寺二十九か寺を持ち境内が六千坪(一万九千八百平方メートル)の本寺格である。 第十三番 平和観音第二十二番 当寺は中山村(松嶺)の末寺となったが、今より五百年前に総光寺第二世湖月大和尚が開山されたという。当寺の観音は聖観音菩薩であるが、これは室町も中葉ころに寺の奧にある羽黒池から露見したといわれる霊像である。 第十四番 平和観音第八番 第十五番 平和観音第十八番 本居山 龍沢寺 聖観世音 いのるより はやあらはるる めうがさわ のちのよかけて われをむかへよ 当寺の聖観音は、御丈二尺(60.6センチ)この辺には珍しい念の入った立派な彫刻である。残念なことに、相当あちこち朽ちかけており、作者や年代の記録が明らかでない。しかし姿勢、均衡はきわめてすぐれており、衣紋も流麗な刻み方でおそらく奈良時代に謹製されたものとみられている。 当寺は松嶺、総光寺の末寺に当たり、今より約五百年前の文政年間(?)に、総光寺七世通庵春寮(ついあんしゅんさい)大和尚が茗ヶ沢の沢入りに開山したと傳えられ、その後火災にあって約二百五十年前に現在の沢尻に移轉したといわれている。このあたりの沢一帯はいつも澄みきった空気がただよっておりすがすがしい感懐に包まれており、ひとしお寺院の尊厳が胸に迫ってくる。またこの近く“大古淵”といわれる雨乞い池があり昔は干ばつが続いて困った時には、ここに集まって雨乞いをするとたちまち雨が降ったものという傳説もある。 (飽海郡松山町茗ヶ沢 バス荒興屋線茗ヶ沢) 第十六番 平和観音第二十四番 当寺 今を去る三百五十有余年前の慶長十七年に鳥海山の麓、落伏の永泉寺第十七世海禪和尚が
、鳥海山大物忌神社信仰に対して庶民の信仰を布教教化しようと、当山を開基し一宇を建立したと云い傳えられている。 第十七番 平和観音第三番 東光寺のご本尊は、羽黒、高寺、ともに庄内の三大霊佛として有名な十一面観音である。羽黒の開山能除大師(蜂子皇子)の御作と云い傳えられている。能除大師は酒田の港に浮木があり、常に光明を放っているのを山頂から拝見して、港に下錫して見たところ、桑の木であったという。 ず第十八番 平和観音第二十六番 十九番 平和観音第三十三番 この寺は遊佐町蕨岡の上寺(うわでら)にある。こおは鳥海山蕨岡口に当たり、すぐ近くには守護神たる大物忌神社がある。 廾番 平和観音第十一 当山の旧記によると春王山満蔵院護持の観音堂は、出羽亀ヶ崎城の西方に、今を去る四百余年前の永正年中に、知慶法師が開創したといわれる霊場である。 廾一番 平和観音第七 当寺は今を去る約一千年前の万寿年中開山第一世乃善和尚三崎峠に建立す。明治初年の神仏分離まで鳥海山神宮寺の学頭とし、神佛分離により鳥海山大権現並びに末社の雷風神社本尊千手観音を当寺に安置し、庄内札所第廿一番となり戦後如意輪観音を安置して荘内平和観音第七ばんをも併置したものである。また三崎神社本尊慈覚大師の尊像も当寺に安置することになったのである。また当寺よりは一望千里という日本海を望み天下の景勝地として四季参詣者並びに観光客で賑わっている。昔人皇五十二代嵯峨天皇の御代三崎峠に手長脚長(あしなが)という山賊出没し往来の人を悩まし、道行く人なく村人は酉の刻の下りに至れば門戸を閉じ夜は火を焚いて寝しに佛天の加護にやいずれよりか現れしともなく三本足の烏現れ、山賊出し時は有耶と鳴き、出でざる時は無耶と鳴きしとか。諸人その鳴き声を聞きその難をまぬがれしという。今は国道第七号線を開通せしも三崎旧道及びとやとや森(南方産楠樹の一種たふの木)は当寺安置の御佛体とともに文化財に指定されている。当寺所蔵の舞の神歌に こえもせず こえさせもせず みちのくの とやとやの森に 有耶無耶のせき 廾二番 平和観音第三十二番 当山は正法第十四世諦翁連察(たいおううんさつ)大和尚の開山である。観音堂はこれより遙かに古く、大同二年の開創といわれ、弘法大師が一刀三礼の千手観世音菩薩の霊像を安置したのに創まると傳えられている。 廾三番 平和観音第十五番 はりまなる しかまにとほき はてまでも 当寺の開山は越後の国村上の耕雲寺第七世審厳正察(しんごんしょうさつ)禅師であり、師は仙台市輪王寺より村上に転任したがその間八十余年、この間末寺建立のため努力せられた。 廾四番 平和観音第六番 萬歳山 冷岩寺 聖観世音
かりかわや かりのよながら きただての 当山は文禄年間最上川のあたり荒鍋に創建、天台宗に属し北楯利長公の祈願所であり、寛永年間の晩秋天台三世玉叟察(ぎょくそうさつ)和尚が曹洞宗の傑僧玄翁心昭(げんのうしんしょう)禅師に降服せられ退山して現在の曹洞宗に改宗した。師は鶴ケ岡総穏寺三世頼山和尚を開山に仰ぎ、自らは二世中興の祖として寺門の隆盛を計ったという。第九世老卵(ろうらん)和尚は紫衣勅許直参内の勅命を拝した高祖であった。
明石山 龍宮寺 聖観世音 たつのみや ちひろのそこの うろくづも 当寺の創建は今を去る一千百余年天安二年(八五八年)七月で、天台宗本邦第二祖慈覚大師の開基といわれている。大師は清和天皇の勅を奉じて、奥羽地方を巡錫の途中、加茂付近は連日の大旱でなやまされ、住民は瀕死の状態にあった。大師の慈眼は、このありさまを傍視するに忍びずと、ただちに当寺を道場山としてトし、天安二年七月九日に佛勅がかない、龍道戒道の二大龍王妙相が示現したと傳えられている。 廾六番 平和観音第十三番 大日山 長福寺 十一面観世音 わきかへる いでゆにひとを たすくるも みなだいじひの ちかひならずや 当寺の創建は今を去る一千年以上前の大同二年行基菩薩が開基と傳えられている。その後貞享のころ真言宗豊山派の末寺となり、当寺は県下唯一の直末寺院であった。慶長十七年最上少将出羽守義光(よしあき)公より百五十二石の寺領を賜っており、また酒井忠勝公の所領となっても、その寺領は改革されなかったというから格式も相当高い古刹と推定される。 当寺の本寺は奈良県桜井市にある長谷寺であるが、本寺と当寺としの周圍の状況は同一である。普段は密封されている御本尊秘佛十一面観世音菩薩(聖徳太子御作)でさえも同一の容姿であるという。当寺の宝物は先にあげた本堂秘佛の他に恵心僧都御作の三千像佛画は一ぷくに千人の僧がえがかれている。縦八尺(二・六四メートル)横七尺(二・三一メートル)という大がかりのものである。その画像が三ぷくというからたいしたものである。弘法大師御作といわれれる石造大日如来は、五十年前に大日坂から下げられたものである。 (鶴岡市大字湯田川) 廾七番 平和観音第十六番 阿迦井山 井岡寺 勢至観世音 ゐのおかや むすぶつつゐの みづきよき 廾八番 平和観音第五番 新山 龍覚寺 聖観世音 よをまもる のりのしるしに あらたなる 当寺は今を去る七百余年前羽黒山の未だ言宗に属したころには峨々たる険山霊窟で老少婦女の登山し難きを慮り、衆生を化益せんがために羽黒山の聖観世音菩薩の御分身を勧請して、その別院として級鶴岡城の西、三の輪龍覚寺町に一宇を建立したのがその始めであると云われている。その後、この土地は御用地として使用する事となったので浜中街道に移され、慶長十年には三轉して現在の高畑堤上に移され山号を新山と称した。 廾九番 平和観音第十二番 修行山 南岳寺 聖観世音 いくちとせ くにやさかえん つるがおかたえぬみのりの はなのかざしに 当山はかつては花街として知られた七日町に建立されている観音堂は、当寺とはかなり離れているが、その管理は七日町の町内会がおこなっている。当寺の聖観音は聖徳太子の御作といい傳られており、会津若松の慈眼寺三世から奉移された観音である。 卅番 平和観音第二十七番 当寺は崇徳天皇永治年中(一一四一年)山城法印永忠の記録によると、元正天皇養老二戌(七一八年)に当寺が建立されたとある。
湯殿山 注連寺 聖観世音 かのきしに ねがひをかけて おほあみの 同寺は今を去る千百余年前の天長十年丑八月、弘法大師湯殿山御開創の砌り当部落に立寄り、時の楯元であった渡部修理太夫の援助を得て、清浄の地に一宇を建立し、湯殿山の本地佛、金胎両部の一刀三礼の大日如来の御尊像を刻み茲に安置し奉ったのが、この寺の始めである。それで湯殿山関係の寺院としては最も古く最も弘法大師に因縁の深いお寺である。庄内札所第三十一番聖観世音菩薩は第百八代御(ママ)水尾天皇が当山の霊験あらたかなる事を聞こし召され、御祈願所として崇敬遊ばされ、陛下の御遺告により御自作の聖観世音菩薩の御香佛(秘佛)並御三帝の御霊牌を添え、御寄進遊ばされたのが当札所のご本尊である。それで藩主でもこの寺の御門前御通過の際には下馬して通られたということである。昔はこの寺は湯殿山、表口、根本執行、七五三掛坊、護国院、注連密寺と称し女人の山として一般婦人の登山は茲をもって最後とせられた。また湯殿山法楽の発祥地でもあるこの山には、七五三掛桜、三胡(ママ)水などの名所のほか、宝物としては、最上義光の枕屏風、巨勢の金岡の第三(?)完(寛)平法皇の画像、大日如来弘法大師の対面席の掛軸、弘法大師書軸、桜花の化石、桜木大日など、種々の宝物を蔵している。また社会事業家として荘内日報に女踏歌(おんなとうか)として連載小説の主人公たる鉄門海上人の即身佛も安置されている。丑とひつじの年には開帳を行い青年男子の護身法修行を行うことになっている。 卅二番 平和観音第二十五番 大白山 吉祥寺 千手観音 ちよをへて しげれるすぎの いたいがわ 当寺の創草(ママ)は、今より六百十三年前の正平元年(1346)といわれ、開基は大梵寺城主武藤持氏公で、開山は金沢市大乗寺第五世徹山旨廓(てつざんしかく)禅師と傳えられ現住職で四十五世で開山禅師が湯殿山注連寺に駐錫しているころ、時の城主武藤持氏公は重臣を遣して禅師に祈祷を懇望されたが、わしは祈祷坊主にあらずとして拒絶された。しかし再三の懇願によりやむなく注連寺を出発して大梵寺城に入り祈念したところ、城主はまもなく平癒したので城主は一寺を建立して謝意を現されたとのことである。禅師は城下に留まって世塵にまみゆる(ママ)事を厭い、〃へいろ〃に香を盛り、大鳥街道を上り、山添村常盤木を経て、西荒屋の西方を通り母狩山麓に入ったと傳えられている。師はこの地に伽藍を建立し、吉祥寺と命名し、山号は城主の希望で大城山と称した。当時境内地は深山幽谷にあったので狐狼の被害を蒙ること甚大なので現在の地に移されたとのことである。 (東田川郡櫛引村板井川 バス落合線吉祥寺口) 卅三番 平和観音第十一番 めぐりきて こがねのみねに のぼるみは 当寺は現に文部省指定景勝地となっている金峰神社と同時代と言われている。金峰山は天智天皇の十年(872)に役の行者である小角が開基であると言われている。又来迎寺年代記に依れば開山は慈覚大師で弘仁三年(812)に建立したと記録されているが、この他天安二年(858)説もあるが弘仁三年説が有力である。 おさめおく のりのころもは せまくとも (鶴岡市青龍寺 バス岩本線青龍寺) 番外 (平和観音第三十七番) 烏渡川原 観音寺 十一面観音 にごりたる つみもながれて うどがはら 酒田亀ヶ崎城址烏渡川原鎮座十一面観世音菩薩の御尊像は、曹洞宗の開祖である道元禅師が一刀三礼の御作であると称せられている。亀ヶ崎城主志村伊豆守光安公の祈願所であった。
観音霊場の開創・巡礼の旅の由来は古く、その開創を遡ると 七世紀、定恵上人、唐に留学、帰国(六六五)に際し、十一面
観世音菩薩を勧請、多武峰寺に祀ったといわれ、養老二年 (七一八)大和(奈良)長谷寺徳道上人が西国三十三観音霊地 を定め開創、約二六〇年後、花山法皇篤く観世音菩薩に帰依な
され、衆生済度の思召しにより、自ら御詠歌をお詠みになられ、 播州書写山の性空上人、大和与喜山長谷寺佛眼上人の両高僧と 共に、関西の地に霊地巡礼の行を修したといわれる。 以上 当て字 脱字 明らかな勘違い などありますが 原文に出来るだけ忠実に再現してあるためです。 |
首番 | 羽黒山 荒沢寺 | 羽黒山修験本宗 | 聖観音 | 鶴岡市羽黒町手向字羽黒山24 | 0235-62-2380 | N38.41.59 E139.59.06 |
第一番 | 羽黒山 正善院 | 羽黒山修験本宗 | 聖観音 | 鶴岡市羽黒町手向字手向231 | 0235-62-2380 | N38.42.45E139.57.40 |
第二番 | 羽黒山 金剛樹院 | 天台宗 | 聖観音 | 鶴岡市羽黒町手向字手向285 | 0235-62-2564 | N38.42.44 E139.57.27 |
第三番 | 長瀧山 善光寺 | 曹洞宗 | 聖観音 | 庄内町三ヶ沢字宮田2 | 0234-56-2892 | N38.45.09 E139.57.50 |
第四番 | 福地山 長現寺 | 曹洞宗 | 聖観音 | 鶴岡市羽黒町狩谷野目字高坂32 | 0235-62-2004 | N38.43.16 E139.52.33 |
第五番 | 桃林山 永鷲寺 | 曹洞宗 | 十一面観音 | 鶴岡市添川池苗代40 | 0235-64-266 | N38.44.18 E139.58.01 |
第六番 | 白狐山 光星寺 | 曹洞宗 | 十一面観音 | 庄内町三ヶ沢中里47 | 023-631-7570 | N38.45.21 E139.57.48 |
第七番 | 寺尾山 法光院 | 真言宗智山派 | 如意輪観世 | 鶴岡市黒川宮の下290 | 0235-57-2492 | N38.39.44 E139.52.39 |
第八番 | 椙尾地蔵院 | 真言宗智山派 | 千手観音 | 鶴岡市馬町琵琶川原97 | N38.45.44 E139.46.13 | |
第九番 | 湯殿山 大日坊 | 真言宗豊山派 | 聖観音 | 鶴岡市大網入道11 | 0235-54-6301 | N38.35.22 E139.54.13 |
第十番 | 良茂山 持地院 | 曹洞宗 | 千手観音 | 酒田市日吉町1-4-38 | 0234-24-1164 | N38.55.08 E139.50.11 |
第十一番 | 見龍山 円通寺 | 曹洞宗 | 准胝観音 | 酒田市麓盾の腰50 | 0234-64-2163 | N38.58.08 E139.57.02 |
第十二番 | 洞瀧山 総光寺 | 曹洞宗 | 聖観音 | 酒田市総光寺沢8 | 0234-62-2170 | N38.51.22 E139.58.15 |
第十三番 | 東林山 宝蔵寺 | 曹洞宗 | 聖観音 | 酒田市山寺見初沢154 | 0234-62-2169 | N38.50.43 E139.58.03 |
第十四番 | 梅枝山 乗慶寺 | 曹洞宗 | 如意輪観世 | 庄内町館27 | 0234-42-3410 | N38.50.36 E139.53.57 |
第十五番 | 本居山 瀧沢寺 | 曹洞宗 | 聖観音 | 酒田市茗ヶ沢沼尻140 | 0234-62-3629 | N38.52.23 E139.57.59 |
第十六番 | 松河山 海禅寺 | 曹洞宗 | 千手観音 | 遊佐町吹浦横町54 | 0234-77-2101 | N39.04.17 E139.52.43 |
第十七番 | 薬王山 東光寺 | 曹洞宗 | 十一面観音 | 酒田市飛鳥大道端104 | 0234-52-3366 | N38.53.06 E139.55.16 |
第十八番 | 生石山 延命寺 | 真言宗智山派 | 聖観音 | 酒田市生石大森山164 | 0234-94-2361 | N38.55.04 E139.56.45 |
第十九番 | 鳥海山 龍頭寺 | 真言宗智山派 | 十一面観音 | 遊佐町上蕨岡松ヶ岡45 | 0234-72-2553 | N38.59.35 E139.56.50 |
第二十番 | 春王山 光国寺 | 真言宗醍醐派 | 聖観音 | 酒田市日吉町1-3-8 | 0234-22-1653 | N38.55.01 E139.50.11 |
第二十一番 | 鳥海山 松葉寺 | 真言宗智山派 | 如意輪観音 | 遊佐町吹浦丸岡148 | 0234-77-2754 | N39.06.02 E139.53.00 |
第二十二番 | 清流山 洞泉寺 | 曹洞宗 | 千手観音 | 三川町猪子甲85 | 0235-66-2023 | N38.48.40 E139.50.47 |
第二十三番 | 光国山 勝伝寺 | 曹洞宗 | 聖観音 | 鶴岡市播磨乙43-44 | 0235-29-2279 | N38.46.00 E139.49.40 |
第二十四番 | 萬歳山 冷岩寺 | 曹洞宗 | 十一面観音 | 庄内町狩川阿古屋42 | 0234-56-2141 | N38.47.05 E139.58.31 |
第二十五番 | 明石山 龍宮寺 | 天台系単立 | 聖観音 | 鶴岡市加茂弁慶沢1-1 | N38.45.40 E139.44.16 | |
第二十六番 | 大日山 長福寺 | 真言宗豊山派 | 十一面観音 | 鶴岡市湯田川乙35 | 0235-35-2226 | N38.41.26 E139.46.18 |
第二十七番 | 大日山 井岡寺 | 真言宗智山派 | 勢至観音 | 鶴岡市井岡甲199 | 0235-22-7084 | N38.42.36 E139.47.47 |
第二十八番 | 新 山 龍覚寺 | 真言宗豊山派 | 聖観音 | 鶴岡市泉町1-13 | 0235-24-2033 | N38.43.49 E139.50.09 |
第二十九番 | 修行山 南岳寺 | 真言宗智山派 | 聖観音 | 鶴岡市砂田町3-6 | 0235-22-5054 | N38.43.51 E139.48.35 |
第三十番 | 高寺山 照光寺 | 真言宗豊山派 | 千手観音 | 鶴岡市羽黒町高寺南畑76 | 0235-62-3154 | N38.41.49 E139.52.32 |
第三十一番 | 湯殿山 注連寺 | 真言宗智山派 | 聖観音 | 鶴岡市大網中台92 | 0235-54-6536 | N38.36.00 E139.53.25 |
第三十二番 | 太白山 吉祥寺 | 曹洞宗 | 千手観音 | 鶴岡市板井川村西43 | 0235-57-2565 | N38.38.19 E139.50.08 |
第三十三番 | 金峰山 青龍寺 | 真言宗豊山派 | 如意輪観音 | 鶴岡市青龍寺金峰6 | 0235-24-0211 | N38.41.05 E139.49.00 |
番外 | 慶光山 観音寺 | 真言宗智山派 | 十一面観音 | 酒田市亀ヶ崎5-1-38 | 0234-24-4093 | N38.53.58 E139.50.58 |
巡礼・遍路 本山HPより http://www.chisan.or.jp/chisan/kaisetu/h19nendo.html 少し追加文章あり。 西国三十三観音、坂東三十三観音、e秩父三十四観音などの観音霊場に代表される札所や聖地を巡拝することを「巡礼」といいます。また四国八十八ヵ所など、弘法大師が修行された足跡をたどる霊場巡りを「遍路」と呼びます。 荘内では三十三観音、平和百観音、出羽十三佛、他に不動三十六箇所(八?)地蔵などもある様です。 亡き人の菩提を弔う、自分や家族の病気が治るように、深い悩みや不安を解消するためなど、巡礼・遍路に出る人の動機は様々ですが、巡拝を進めるにつれて、「物心ともに施しあう」「やさしい言葉で励ましあう」「他人のためになるようにする」「他人の立場に立って行動する」という行い(善行)の大切さを、自然と理解できるようになります。また、心を込めて手を合わせるうちに、仏さまやお大師さまとのご縁を身近に感じ、信心が深まっていきます。 巡礼の方へ、 平成22年は御開帳の年です。コピーは「観音様が見ていてくれる」 明治期の版ですので現在と違います。
こちらのサイトに依ると庄内の霊場は他に東北三十六不動、
、庄内十三仏、庄内梅花観音百八霊場、荘内地蔵八十八霊場、庄内四十八地蔵、七福神等が在る様です。
注意。堂内の撮影の制限
外部リンク
荘内三十三観音霊場 http://www.geocities.jp/syou33kan/(オフィシャルサイト) このページが元ネタです。 お陰様をもちまして 平成22年10月30日夕刻恙なく帳をおろすことが出来ました。皆様に心から感謝申し上げます。 願以比功徳 普及於一切 我等與衆生 皆共成仏道 |