緊張でドキドキ初質問

 私がはじめて市議会の議場に入ったのは、一九八七年(昭和六二)五月でし た。外は青葉の輝く美しい季節ですが、私の心臓は緊張でドキドキ、汗をぬぐいながらの初質問でした。
 その質問は、寝たきり高齢者の入浴サービスを月一回から週一回へ、夏冬は回数を増やしてください、というものでした。
 介護保険制度のまだない当時の家族の負担は、大変なものでした。この質問により少しずつ入浴回数が増え、一〇年後にはやっと週に一回が実現しました。さ さやかなものでしたが、介護をするご家族からは大変喜ばれ、「人の役に立てた!」という、うれしさと、議員としての責任の重さを感じさせられました。
 働く父母にとって切実な願いであった、放課後学童保育の夏休み利用日数の増加と、県と市からの助成の実現も、一年生議員として、初めて感じた手ごたえで した。
 こうした経験から、最初の立候補の時に掲げた「市民が主役の、思いやりのあるまちづくり」という私の目標が、間違っていなかったと、確信をもちました。 納税者である市民が払った税金を、市民の暮らしに役立てるのが「市民が主役」の市政であるという確信です。
 こうした立場から、二年目には、寝たきりや、一人暮らしの高齢者宅を訪問し、その実態の調査結果をもとに、ホームヘルパーの増員の必要性を訴えました。 また、浜松医療センターに歯科がないから不便だという声に応え、歯科の設置を実現することができました。
 消費税導入に対しては、公共料金に上乗せしないように求め、集会所など市の借地料値上げをやめさせ、逆に値下げをさせました。    

県内初、重度身障者の送迎入浴

 二期目は、福祉の充実のための提案を次々と行い実現させました。例えば、
・一人暮らし高齢者の「緊急通報システム装置」の三〇台増設
・福祉タクシー利用者の年間一万円助成。
・重度心身障害の送迎付無料入浴サービスを県内で初めて実施
・高齢者にも分かりやすい「福祉ガイドブック」の配布
・車椅子で利用できる「超低床オムニバス」の運行
などです。これは、高齢者や身体の不自由な方の切実な願いに後押しされた結果でした。
 福祉行政に力をいれる一方、老朽化する遠州浜団地の建て替えを、住民の方と一緒に県・市へ陳情したり、江南中学の通学路安全対策なども、実施することが できました。
 地元の遠州灘のきれいな砂丘と、そこで産卵するアカウミガメ保護のため、私は「車両乗り入れ禁止措置」を求めました。その結果九七年からは、県と市に よって車止めが設置され、海浜の破壊を食いとめる第一歩となりました。

役人の「官官接待」はダメ

 三期目の一九九五年、各紙の地方版のトップに、「官官接待」を取り上げた 私の質問が記事に載りました。中央官庁の「官官接待」はマスコミでも批判されていましたが、浜松市においては、この問題に触れるのはタブー視されていまし た。
 私は、市民感覚からは、公金を役人同士の飲み食いに使うのはおかしいと考え、その実態の公開を迫りました。
 役人が使った「食糧費」は年間五三〇〇万円で、そのうち役人同士の「接待」に使われたのは年間二三八回、一三五七万円であることが判明しました。私の再 三の要求で、三年後にはこの悪しき慣習は廃止されました。
 環境問題も、私がこだわってきた課題です。馬込川河口は、鳥類、魚類、植物の生息する貴重な自然環境が豊富に残されています。私は、ここに子どもたちの 環境教育の場として、「ネイチャー・センター」設置を提案しました。しかし、市の予算措置ができなかったため、NPO団体の手によって、実現されました。
 九七年は、家庭排水による水質汚染を防ぐための合併浄化槽設置申請者には、全員に補助金を支給するよう要望し、実現しました。翌九八年には、清掃工場周 辺の住民の健康を守るため、工場から排出されるダイオキシンなど有害物質の調査を要求し、排出物をチェックするシステムができました。
 「市民が主役」のまちづくりは、市民が主体的に考え、参加することが大切です。どのような浜松市にしていくのかを考える「市民憲章をつくる会」を、賛同 する市民によって結成し、福祉、環境、平和、地方自治について市民講座を開くなどしてきました。

情報公開をすすめる

 情報公開は、民主的市政の基本です。行政主導から市民主役の市政にするた めには、閉鎖的な行政を透明化しすることが必要であると感じ、四期目の主要な課題として、情報公開問題に取り組みました。
 まず、密室で行われていた各種審議会や、計画決定のプロセスの公開を求めました。この結果、会議の傍聴、委員の公募制、ホームページでの情報公開など が、実現できました。
 九九年には、介護保険計画策定委員会の公開を求めるとともに、制度の運営をチェックできる「介護保険運営協議会」の設置と、メンバーの公募を求めまし た。この結果、委員会と資料の公開、三名の公募委員を含む運営協議会が設置され、介護保険制度運営の重要な審議の場になっています。
 また、新障害者計画の策定に当たっては、私の要望が実り、障害者団体が参加して意見を述べる場ができ、策定委員の公募も実施されました。
 子育て家庭の支援では、通院費用の助成が二歳から三歳まで延長されました。保育園の待機児童解消についても、解決を求めました。     

いのちと暮らしの安心を

 二〇〇五年には、一二市町村の合併で新しい浜松市が誕生しました。私は、 合併によってどの地域においても、住民が犠牲を被ることのないように、慎重な準備を訴えました。
 この年には、静かな時限爆弾といわれるアスベスト(石綿)公害の実態が、明らかになりました。長い間、危険を察知しながら禁止措置を怠ってきた国と行政 の不作為が、多くの命や健康を蝕み、人々を不安に陥れています。アスベストにさらされてから、三〇年以上の潜伏期の後、発病するという症状は、これからが ピークになるとされています。
 私は、アスベストが建築材料に多く使われていることから、その点検や解体工事への安全対策を求めました。また、石綿水道管が使われている実態の公表を求 め、速やかな取替えを要求しました。
 南区の農家では、高齢化や後継者難などで遊休農地が広がっています。私は、「市民農園」などの活用で農地の保全を図り、環境の維持を求めました。また、 南区の代表的農産物であるエシャレットを首都圏にPRするために、農協関係者と一緒に市に働きかけ、「ハマル」やホームページに掲載されました。
 高齢化の進行は、医療や介護の保険料負担となって、家庭を直撃しています。二〇〇九(平成二一)年度に浜松市は、国民健康保険料を平均一七%と大幅値上 げをしました。私は、国保料値上げ分の六億二千万円は、高額所得者の滞納(三億五千万円)解消と、収納率の一・二%向上(平成二〇年度の収納率は八八・五%)で解消できる、と数字を明らかにし、三年連続の値上げを しないよう、強く求めました。
 介護保険制度が始まって一〇年たちました。介護保険料が上がる一方、サービス内容は利用者のニーズに追いつきません。私は、「高齢者に厳しい保険料値上 げ」「きつい仕事と低い待遇で介護従事者の不足」「介護度のランクを下げる認定制度改悪」「特養ホームへの入所待ち」等の、制度の検証を求めました。
 現在、浜松市には十七ヶ所の「地域包括支援センター」がありますが、増大する需要に対応できていないことを指摘し、その増設を求めました。これに対し て、新たに五ヶ所の増設計画が示されました。
 過度の競争と格差社会のなかで、子どもの世界でも、自殺やいじめといった悲しい事件が多くなっています。私は、他の政令市でも実施している二四時間対応 の「いじめ電話相談」の開設を求めました。これに対し、市は早期の検討を約束しました。
 この他、本会議では多くの質問・要望をしてきましたが、紙面の都合で割愛いたします。

 

 

納得のいくまで再質問をする

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

提案が実った「高齢者健康づくり広場」