イギリスの絶対王政
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今回は、どのようにしてイギリスが絶対王政を形成していったのかを見ていきます。
中世末期にイギリスは、百年戦争とバラ戦争に遭遇しますね。百年戦争は1453年にイギリスがフランスから撃退されて終わります。そう、フランスのジャンヌダルクらの活躍によって負けちゃったんです。その後、1455年にバラ戦争が始まります。終わるのは30年後の1485年ですが、これは王位継承をめぐるランカスター家とヨーク家との対立。つまり、内乱ですね。これに大貴族らは巻き込まれていき、彼らは没落していくことになります。
これら百年戦争やバラ戦争によって諸侯の多くが自滅していき、国王の権力は強くなっていくことになるんです。
バラ戦争にて争ったランカスター家、ヨーク家は共倒れの形となり、事態を終結させたのがテューダー家のヘンリ7世でした。これを継いだ息子のヘンリ8世の代にイギリスは絶対王政の成立を見ます。
じゃ、まずはヘンリ7世の時代からからどのようにして絶対王政の階段を上っていったのかを見ていきましょう。
ヘンリ7世
ヘンリ7世は王権の強化の手段として国家最高の行政機関である枢密院(すうみついん)を設置します。英語では「the Privy Council」。直訳するなら「私的諮問機関」。また、最高司法機関として星室庁裁判所を創設します。ウェストミンスター宮殿の「星の間」で裁判を行っていたため、こんなかっこいい名前なんですが、貴族など反王権勢力の弾圧にも機能しました。
ヨーク派貴族の土地を取り上げて王の領地を広げたり、税金を取り上げて財政を整え、貴族勢力の打破と共に絶対王政の確立に努めていきます。
ヘンリ8世
次の王がヘンリ8世。ヘンリ8世といえばイギリスの宗教改革でお話しましたね。自身は、離婚したかったんだけど、カトリックでは離婚が認められていない。それならばとイギリス国教会という国家宗教を生み出してしまった人。
これにより国王が完全に教会を支配下に置くことになります。もう、ローマ教皇とか目の上のたんこぶからの決別です。また、修道院の解散とその財産没収などにより王権の強化をさらに進めました。
このヘンリ8世の後が息子のエドワード6世。次がブラッディ・メアリことメアリ1世です。メアリ1世はカトリック教徒でスペイン王フェリペ2世と結婚しカトリックの復活を図ります。また、イギリスがスペインに併合されそうになるなどイギリスはピンチになりますね。その後を継いだのがエリザベス1世。メアリ1世とは母親が違うけど、父親は同じヘンリ8世です。異母兄弟ですね。
エリザベス1世
ヘンリ8世によって確立された絶対主義がエリザベス1世の時に最盛期を迎えることになります。このエリザベス1世はイギリス国家と結婚したとして一生独身を貫き通したことでも有名です。
メアリ1世の時代にカトリックが復活しますが、エリザベス1世はヘンリ8世の時代のように国王を宗教上の最高権威として認めさせカトリックや清教徒を厳しく取り締まり宗教的統一を強化します。
また、当時世界最強を誇っていたスペインの影響下から脱する為に私拿捕船(しだほせん)というのを国で認めます。これはなんとエリザベス1世が民間人に対してスペインの船を襲撃しちゃえ!って後押しするんです。もう、エリザベス1世はスペインへの警戒がスンゴイんですね。まぁ、メアリ1世の統治の時代に殺されかけてもいますから、メアリ1世の夫であったスペイン王フェリペ2世やスペインという国自体にも警戒を解くことがありませんでした。フェリペ2世なんぞ、メアリが亡くなった後、エリザベスに求婚してますからね。超〜あやしいんです。もちろん、断ってますけどね。
この私拿捕船とうのは、海賊と一緒。イギリスの商人や航海者たちが船を武装してスペインの商船を襲ったり、植民地を襲撃して大きな利益を獲得します。普通、国としては彼らを止めるのでしょうけど、エリザベスは「ニンマリ」です。
スペインのフェリペ2世は、エリザベス1世を引き摺り下ろして、カトリックのスコットランド前女王メアリ・スチュアートを王位につけようと企てますが失敗。こうなると、いよいよスペインとイギリスの関係は悪化。1588にスペインは無敵艦隊(アルマダ)を送り込みイギリスに攻め込みます。しかし、これにイギリスは勝利。スペインの海上支配は打撃を受けることとなり、逆にイギリスは国民的自覚が強まることになります。
貿易の面では、エリザベス1世は貿易独占の特許権を与えて冒険商人組合(Merchant Advanturers ompany)を保護。貿易の拡大、海外進出を狙います。有名なのが東インド会社ですね。イギリスの東インド会社が設立されたのは1600年。オランダの東インド会社が1602年。フランスでは1604年ですから、イギリスが一番早かったんです。
では、この東インド会社ってどんな会社なのかというと国王によって対アジア貿易の独占権を与えられたんですね。アフリカの南端の喜望峰からアメリカ南端のマゼラン海峡までの間がここでいうアジア。
普通、商売っていえば、安く仕入れて高く売りたいわけです。そのためにブランドイメージやらサービスやらで付加価値をつけたり、1円でも高く売れるように色々と工夫、企業努力をするわけですが、これはライバル会社なんかがいたりするからですね。しかし、国王から独占権を与えられていれば、そんな努力は必要ないわけです。ライバルがいませんからね。独占してますから。市場を独占できれば、好きな価格をつけて高い値段で売ることができます。その代償として国王に儲けの一部を持っていかれますけど、その代わりライバルを潰してもらえるわけですので東インド会社はどんどん肥えていきます。しかし、同時に他の商工業者からは不満がつのっていくことになりますね。これらは、後の17世紀に革命という形での爆発の1部となっていきます。
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