織田信長・桶狭間の戦い
永禄3年。1560年5月、織田信長のいる尾張に侵攻する今川義元。その大軍を前に織田信長は、明確な作戦も指示せぬまま、イビキをかいて寝ていたといいます。
その様を見た重臣たちは「もはや、これまで」と口々に嘆きました。
この桶狭間の戦いこそが、後に織田信長が世間に名を知らしめる戦いとなるのです。
5月19日。今川が織田の丸根砦、鷲津砦に攻めかかったという報告を受けた織田信長。今までイビキをかいて寝ていた彼は、突如立ち上がり出陣の号令を出すのです。
実は、信長には確かな戦略がありました。当時、今川の元にいた徳川家康(当時は松平元康)は、大高城に大量の兵量を送り込んでいました。ということは、今川義元は、尾張の沓掛から大高城に入ることは明白。その城に向かうには、狭間といわれる細い窪地を通る必要があります。
その狭間こそが少ない兵で今川の大軍に対抗できうる唯一の場所であると織田信長は目をつけていました。 |