歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記アメリカ合衆国の歴史冷戦

冷戦

 
 第二次世界大戦が終わるとアメリカを中心とする資本主義、自由主義の国とソ連を中心とする共産主義、社会主義の国とが対立するようになります。しかし、この対立は、アメリカとソ連が直接武力で争うわけではなかったので、武力での争いの「熱戦」に対して「冷戦」と呼ばれるようになりました。

 冷戦という言葉を最初に使ったのは国連原子力委員会アメリカ代表のバルークであるといわれます。その後、アメリカのジャーナリスト、フォルター・リップマンが「冷戦・アメリカ外交政策の研究」という著書を出してから広く知られるようになっていきました。

 では、この冷戦の始まる原因から見ていきましょう。

 原因は第二次世界大戦中の
ヤルタ会談に求めることができます。ヤルタ会談が行われたのは1945年2月ですので、もう勝敗は明白となった時期ですね。ソ連、アメリカ、イギリスは戦後処理について、事実上、ドイツを含む中部、東部のヨーロッパを東西陣営に分割するを決定します。

 そして、このヤルタ会談の決定によりルーマニアやブルガリアなどでは、ソ連軍が進駐。共産主義勢力を中心とした政権が樹立することになり、ソ連はポーランドも取り込み社会主義勢力をどんどん拡大していきます。

 このソ連の動きに警鐘を鳴らしたのが1946年の有名な
フルトン演説です。これはイギリスの元首相であるチャーチルがアメリカにて「鉄のカーテン」という言葉を使いソ連を中心とする社会主義勢力の拡大に対して警告を告げた演説です。

 「う〜ん。このままじゃギリシアやトルコも危ないな」

 ということで、この演説の翌年、アメリカ大統領トルーマン・ドクトリンは、ギリシアとトルコの防衛を引き受けることを宣言。この宣言こそが冷戦の事実上の宣戦布告だといわれています。

 
 鉄のカーテン


(赤線を境に東側をソ連を中心とした社会主義国が西側をアメリカを中心とした資本主義国が治めていた)

 


 さらにアメリカは、
マーシャルプランといわれるヨーロッパ復興援助計画を発表します。ヨーロッパにアメリカのドルをばらまいて、ヨーロッパの国々を戦後の被害から復興させ、ヨーロッパにおけるソ連の影響力を弱めてしまおうという計画です。以降、アメリカは3年間で120億ドルをもつぎ込み西ヨーロッパの復興を加速させるのでした。

 ソ連は、このアメリカの動きを強く批判。各国の共産党の連携を強化するために
コミンフィルムという共産党、労働者等情報局を設置します。

 そして、1948年にはドイツで「ベルリン封鎖」が起きました。これは、当時ベルリンは西側がアメリカ、イギリス、フランスの資本主義陣営、東側がソ連の社会主義陣営が占領していたのですが、西側で新しいドイツの貨幣が発行されたのを見るとそれに対抗した東側が西地域の電気の送信や交通網を遮断、これにより西側では、周りを社会主義勢力に囲まれた状態へとなってしまいます。

 アメリカは、空軍を使い西側に物資を空輸するのでしが、これは、1949年にソ連が封鎖を解除するまで続けられます。そして、この出来事の後、アメリカは西ドイツの独立を認め、西ヨーロッパの軍事同盟強化のために1949年、
北大西洋条約機構(NATO)を結成。ソ連でも東ドイツの独立を認め、1949年には東欧諸国の経済協力機構(コメコン)が設置され、1955年には社会主義国家の団結を強める為にワルシャワ条約をつくりアメリカに対抗することになります。

 この冷戦は、アジアにも影響を与えることになります。1949年に成立した中華人民共和国は次の年にソ連と手を組み、朝鮮半島やベトナムではアメリカ、ソ連の代理戦争が起きます。

 これらの事態にアメリカ、ソ連は核兵器の開発など軍拡競争に拍車を掛けます。1962年には社会主義化したキューバにソ連の核ミサイルが配備されるとアメリカは臨戦態勢を整えて一触即発の事態に陥ります。

 この事態は、結果両国による交渉により回避されることになるのですが、核戦争になりかけた事態に両国はさすがに危機感を抱き、戦略兵器制限交渉をはじめ、冷戦はいったん緊張緩和の時代へと移っていきます。

 しかし、ソ連が1979年に共産主義政権を支えるという名目でアフガニスタンに侵攻すると、緊張緩和の時代は終了。新冷戦時代へと突入するのです。

 そしてアメリカでは1980年に
レーガンが大統領に選出されました。レーガンは、ソ連の動きに対して「やはりアメリカは強くならなくてはならない!」と軍拡予算を一気に増やします。ソ連も負けずに軍拡に力を入れます。

 しかし、これらの軍拡には莫大な予算が必要でアメリカもソ連も大きな財政赤字に苦しむことになるのです。アメリカでは、レーガン大統領の1期目が終わったときの累積赤字は当時の為替相場で500兆円弱!ソ連はアメリカ以上にヤバイ状態になっていたんですね。

 そして、ソ連では改革が必要であるとして
ゴルバチョフが登場します。ペレストロイカ、つまりソ連の全般的な改革をゴルバチョフは提唱したのです。

 もう、こんなにらみ合い両国のためにならないんじゃない?お金もないし・・・。と、両者は意気投合!?ゴルバチョフとレーガンは1985年から首脳会談を開始。ゴルバチョフはアフガンからの撤兵も受け入れ1989年に
マルタ会談にてゴルバチョフとブッシュ(この頃にはブッシュ大統領に代わっています)が冷戦の終結を宣言するのでした。


 <第二次世界大戦へのアメリカ参戦
 
 >湾岸戦争


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