下関条約から何と6日後、1895年の4月23日には、ロシア・フランス・ドイツの3国が外務省を訪れて、日本が獲得した遼東半島を清に返すようにと強く訴えてきました。
たった6日でです。しかも、アジアの国々がそう訴えてくるのなら、まだ話は分かりますが、ヨーロッパの国とロシアが・・・?ぜんぜん関係ないじゃん。そう、だから干渉。干渉とは、他人のことに立ち入って自分の意思に従わせようとすること。と辞書にありますので、まさに三国干渉だった訳です。
この三国干渉の中心にいたのはロシアです。ロシアは当時、南下政策というのを思い描いていました。自分の国をどんどん南に向かって広げていこう!という考えを持っていたのですね。そして、この遼東半島という場所は、ロシアの南下政策にとっても、日本のアジア進出にとっても重要な拠点であったのです。ですから、遼東半島を日本にとられて、ロシアも「やばい」と思ったのですね。
だから、ロシアは日本と清との間で講和交渉が始まる前から、しっかり動いています。イギリス、フランスに呼びかけ協調関係を築いていたのです。そこに、ロシアの関心を日本や清に向けさせておきたいと思惑を持ったドイツが加わります。イギリスは、逆にロシアの南下政策を嫌っていましたので、三国干渉には参加することはありませんでしたが・・・。
「やった!遼東半島を手にいれたぜ!」と喜んだ矢先、強国がいきなり、「それ返せ」と言ってくる。のびたくんが新しいマンガをやっとの思いで買ったのに、ジャイアンが、それオレに貸せって言っているようなもんです。
日本も一応、伊藤博文により、この三国干渉の要求について案を出します。まず、無視する!次に列国会議を開いて話し合う。そして素直に応じるの3つです。実際問題、無視はやばすぎます。ジャイアンは怒って手を出しかねません。次に会議を開くですが、これも会議を開いたところで、日本の思惑通りにいく可能性はすくない。しかも、更なる要求もされかねない。残るは、素直に応じるですが・・・。
あっ、そういえば、ドラえもんに助けを求めるっていう手もあります。日本は、イギリス、アメリカ、イタリアに働きかけて三国干渉を乗り越えようと考えますが、イギリスが乗り気ではなく、これも断念。
そして、ついに5月4日、やっとのことで手に入れた遼東半島は、清に返すことになるのでした。
ちなみに、ジャイアン(ロシア)は、後にその遼東半島を我がもの顔で占領してしまうのですからズルイですねぇ。
>なぜ日本は三国干渉を受け入れたのか
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