この一揆により、幕府はキリスト教を以前にも増し危険視するようになっていきます。(将軍よりも神様が偉いとか人は皆平等などキリストの教えは幕府に都合が悪い・・・。)
そして、幕府はキリストや聖母マリアの描かれた像を踏ませる絵踏(えぶみ・踏み絵ともいわれる)により、隠れキリシタンを処罰したり、寺請制度 (てらうけせいど)により、すべての人にどこかの寺の檀家になることを強制し、キリスト教を徹底的に排除しました。
ちなみに、今も残る自分の家のお墓を持ち、ご先祖様を弔うという仏教の形を本格化したのは、この寺請制度が始まった頃から・・・。
元々、仏教の教えには、先祖供養はありません。人は「輪廻転生」、亡くなったらまた生まれ変わるのです。(仏教を志す人の最終目的は輪廻転生からの卒業です)つまり、亡骸には何の意味もなく、ただの骨。その骨の入ったお墓を大切にし、先祖を弔うという儀式は実際のインド仏教にはありません。
しかしながら、日本ではご先祖様をおろそかにするというのは心情的に難しく、それまでにもお経を読んで供養するというった形はありました。しかし、各家庭でお寺の檀家になり、お墓を管理するといった形が本格的になったのはこの頃からのようです。
島原の乱の後、1639年にはキリスト教の広まりを防ぎ、貿易の利益を管理する為の鎖国制度も始まるなど、当時の政治や宗教に大きな変化を与えた一揆となりました。
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