大正デモクラシー
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大正デモクラシーって何?学校の授業でならった「大正デモクラシー」ですが、いまいちよくわからん!という人も多いのではないでしょうか?
そもそも、デモクラシーってなんじゃい!って話ですが、デモクラシーとは民主主義といった意味があります。
当時は、第一次世界大戦で連合国が勝利したことにより民主主義の勝利といった見方やロシア革命、国際連盟の結成などがあり、世界的にもデモクラシー的風潮が広まってきていたんですね。日本でも民主主義的風潮が吹き始めていた時期でした。
大正デモクラシーの出発点は”大正政変”といわれています。
大正時代初期の政局は山県有朋系の桂太郎内閣と伊藤博文系の西園寺公望内閣が政局を二分する桂園時代が続いていました。まぁ、交互に首相になっていたという時代ですね。
当時は、日露戦争には勝利したものの財政難。だって、戦争でお金使いまくってロシアに勝利したのに賠償金が1円も貰えなかったんですからね。そんなこともあって陸軍が提示した軍備拡大要求を当時の首相であった西園寺は「お金がないから無理!」と断るんですね。これで陸軍なんかが西園寺内閣を退陣に追い込んだんですが、黙ってなかったのが桂太郎!
即位したばかりの大正天皇の命令だ!と強引に桂内閣を発足させるんですね。
これに対して、立憲政友会や立憲国民党の政治家、またジャーナリストや一般市民らが全国で運動を開始します。「藩閥とか軍閥とかうんざりだ!立憲政治ってのを知ってんのか?」って具合に叫びだすんです。これが第一次護憲運動(1912~1913年)ですね。
結局、桂首相はわずか53日で総辞職となりますが、これが大正政変です。大正デモクラシーの出発点といわれている動きですね。
その後、1918年には米騒動なんかもあります。シベリア出兵に際して米商人らが米を買い占めて主婦が怒るんですね。そして、米屋に押し掛けるんですが、これも全国的な運動となって結果、軍が出動するほどの事態になったりするんです。
1920年には日本初のメーデーが行われ、労働運動も発展しました。
また、全国水平社が組織され、部落差別撤廃の運動が本格派。女性の地位を高める運動も活発化し平塚らいちょうや市川房枝らの活躍により婦人参政権も主張されるようになっていきます。
さらに、1923年には第二次護憲運動も起こります。これは、清浦内閣の時、ほぼ官僚すべてが貴族議員から選出されたことに国民が納得できずに起こった運動ですが、これによって加藤内閣が成立し普通選挙法(満25歳以上の男子に選挙権が与えられる)が実現しました。
言論、出版、集会などの市民的自由が拡大されることによって政党政治、普通選挙などの大衆の政治参加が始まり、労働運動、農民運動、婦人運動なんかが盛んとなっていく1910年代から1920年代の民主主義の発展、自由主義的な運動の総称が大正デモクラシーです。
ちょっと難しいですけどね。ぼんやりしていて・・・。
まぁ、概ね大正時代に起こった民主主義の発展、自由主義的な運動の総称と覚えておけばいいでしょう。第一次護憲運動と米騒動、第二次護憲運動、普通選挙もセットで頭に入れておきましょう!
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