◆宇宙ショーへようこそ感想(ネタバレ有り) その3

その2よりつづき


「宇宙ショーへようこそ」の感想で、一番多く目にする批評、批判はまず「詰め込みすぎ」であり「説明不足」である。
その感想は、実に真っ当で普通の感覚ではないかとも思う。

なぜなら、舛成監督の作品の場合、キャラに設定説明をさせたり、不自然な説明的シーンを入れるのを嫌い、視聴者に対してわかりやすい設定説明を一切省いてしまうのが基本であるからだ。
これは、舛成監督の設定を説明する事に重きをおくより、キャラクターの感情ラインを重視し、物語をキャラの感情、ドラマを主軸に作品を見せたいという意図から来るもので、作られた設定、世界観はそのキャラの存在感やリアリティをより際立たせる為に緻密に構築されるものであって、設定や世界観それ自体を見せびらかすことを目的にしていない。

しかし、表面的なわかりやすい説明をしないかわりに、作られた設定に沿ってそれを徹底的に絵で描いて表現し、それを幾重にも積み重ねることで、世界を構築していくのが舛成監督の方法論なのだ。
このスタンスの結果、絵に込められた意味や意図、情報がより重要になり、他の作品と比べてその密度が何倍も濃くなっている。
そうやって構築された作品世界は、独特の空気感と奥行きを見せ、その上で動くキャラの存在感、感情は自然とホンモノらしさを獲得し、見るものを魅了していく。

また絵として描かれる情報には設定的なものだけでなく、物語的な伏線も当然あり、視聴者はその情報を拾いながら、物語の筋やキャラの感情の微細な動きを読み解きながら、見ていくかなければならない。
しかし、その情報量の多さから、一度見ただけでは見逃してしまうものが必ずでてくる。
この「説明をしない」というスタンスは、キャラの感情面を表す芝居や仕草、物語的なちょっとした伏線にも及ぶことがあり、極端になると、意味のある芝居を視聴者が、見逃すくらいにさらっと仕込んでいたりもする。

その為、舛成作品は、二回目、三回目を見ることで、初めて気づく芝居や描写の意味が、いくつも存在する。
さらには特段気づかなくても物語を理解するうえでは支障のないレベルでのちょっとした小ネタなどが数多く仕込まれている。
その緻密に構築され、絵としてふんだんに詰め込まれた情報のひとつひとつを発見し、読み解き、理解することで、さらにその作品の奥行の深さを実感することができる。

「何度見ても楽しめる、見るたびに発見がある」
それが「R.O.D」や「かみちゅ」などにも共通する舛成作品の大きな魅力の一つなのだ。

そして「宇宙ショーへようこそ」という作品は、今までの舛成監督が作品を作ってきた上記の方法論を基本的に何も変えずに作っている。
今まで作ってきた作品のフィールドがOVAだったり、TVシリーズだったりすることで存在した制作期間や予算といった制限を全部外して、映画というフィールドでブレーキを外して全力全開のフルパワーで、今までと同じやり方で、今までできなかったことをすべて注ぎ込んだものが「宇宙ショーへようこそ」という作品なのである。

その結果2時間16分という一本の映画の中にTVアニメ1クール分のストーリーとアイデアが凝縮され、かつTVアニメの何倍もの設定と情報が作中に描き込まれている。
しかしその演出スタイルは変わることなく、あえて説明をしていない。

その為、どう見てもこの映画は、一度見ただけで描かれた情報の全てを飲み込んで理解できる様な作りにはなっていない。
しかしこの作品は、周と夏紀の仲直りを主軸にした、子供たちのドラマと成長が作品の中核で、子供向けのシンプルなSFジュブナイルであり、その物語は子供にとってわかり易いものでなければならないはずである。
にも関わらず、一見して子供向けとしてはありえない、それ以外の様々な要素や、あえて説明されない設定が膨大に存在していることが画面からあふれでている。
その結果、この映画を見て、「詰め込みすぎ」で「説明不足」という不満を感じてしまうのはむしろ当然かも知れない。

そして、それは単純に「映画」としては欠陥であるかもしれない。
事実、一回目の視聴後には自分も、それに近いことを感じて、この作品をどう評価すべきか、非常に困惑した。
だがしかし、同時に思ったのは、これ以上に舛成監督らしい作品はない、自分の大好きな舛成監督が、その全力をぶつけた作品であることは、フイルムの隅々から溢れでていて、嫌というほど理解できた。


「何度見ても楽しめる、見るたびに発見がある」という作り方の発端には、舛成監督がOVAを多く手がけていたことにも起因する。
R.O.DのOVA版において、舛成監督は、「せっかくお金を出してソフトを買ってくれたお客さんに何度も見て楽しんでもらいたい」といった趣旨の話をしていたことがある(ソース失念、間違ってたらごめんなさい!)
これは、自分の作った作品のソフトを買ってくれたお客さんに対する舛成監督のサービス精神のあらわれでもある。
アニメはソフトを買ってもらってナンボなのだ。

だがしかし、基本的に映画は、映画館で一回しか見ないのが普通で、繰り返しなんども見るものではない。
「何度見ても楽しめる、見るたびに発見がある」という舛成監督の作品の魅力は、ここでは発揮されず、むしろマイナスに働いてしまっていると言えるかもしれない。

そういうい意味でも、この作品は、映画のセオリーを全く無視した作りになっている。
普通に考えたら、もっと情報や設定、エピソードを整理して、キャラの役割やテーマを絞って、観客に対して、わかりやすく説明もして、まとめれば、もっといい「映画」になったかもしれない。
でも、それでは、「映画」には、なっても舛成監督のつくるアニメにはならないのではないか?
自分はこれでも、アニメに限らずけっこう映画が好きだし、ジュブナイルというジャンルも大好きなので、その基準に照らせば、たしかにこの「映画」は、少なからず欠点抱え、マイナスの評価を付けざるを得なくなってしまう。

だがしかし「宇宙ショーへようこそ」という作品は、舛成監督の作品であり、舛成監督にしか絶対に作れない舛成監督のフイルムである。
1度見ただけでは、すべてを受けとめきれなかった、二度目を見てようやく整理がつき、三度目で確信することができた。

これは間違いなく舛成監督の舛成アニメの最高傑作だ!!

映画であるかないかとか、ジュブナイルの子供向けとしてどうなのかとか、そういった自分にとって愛着のあるジャンルで常になされる自分の中での採点基準とか評価基準というものは、この作品の前では、もはや無意味に思えてしまうくらい、「宇宙ショーへようこそ」は「宇宙ショーへようこそ」であり、絶対なのだ。


信者の盲目と笑わば笑え!

けれど、十年以上ファンやってる人間に、期待や想像を超えて、心底そう思わせる作品を創りだすことの凄さをどうか分かって欲しい。




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