パラドックス

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ここでは特に無門関には囚われず、物の考え方をテーマにして雑記を綴ってゆきます。

最初は、禅のテキストによく現れる「Aではない。非Aでもない」という一見矛盾した表現を、一種のパラドックスと考えてみます。

パラドックス

逆説、矛盾などと訳されますが、一般には「正しいように見えるが間違っている」でしょう。「アキレスは亀に絶対追いつけない」は代表的なパラドックスです。

このページでもパラドックスをいくつか挙げました。第十ニ則の 「この箱には部屋中の箱が全部入っている」などです。 パラドックスを真剣に考えることは、しばしば無駄やナンセンスとされ「そんなの判りきってるじゃないか。実際はアキレスは亀を追い抜くのだから」で片付けてしまうことも出来ます。 しかし、それを考える過程で脳は活性化され、堂々巡りから脱出する方法を見つけ出すことは創造の源であるとも言われます。

禅の公案、無理会話(むりえわ)が、理屈では答がありそうもない難題を通常の理論を越えて考えさせるのも、共通とはいえませんが同じような役割を果たしているのかもしれません。

そんな正当化は抜きにしても、私自身はパラドックスが大好きなので、これからしばらく、単純には答えが出そうもないものと、それの僕なりの解釈を紹介してゆきます。
まだ回答(?)をご存知ない方は次のページへ進む前ににお考えください。


抜き打ち試験のパラドックス

教授が言いました。「来週必ず抜き打ち試験を行う。実施日は前日には判らない。皆毎日勉強をしてくるように」

学生は考えました。「木曜まで試験がなかったら金曜に試験することが判ってしまうから、金曜には試験はない。水曜まで試験がなければ木曜か金曜だが、金曜には出来ないのだから木曜と判ってしまう。同じように考えていけば月曜に試験するしかないが、それは日曜に判ってしまうから、抜き打ち試験は不可能だ!」

ところが試験は水曜日に行われ、誰も予測できませんでした。
学生が実施不可能と思った「抜き打ち試験」は、何故成立したのでしょう?

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