抜き打ち試験のパラドックス

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これは「予知できない卵のパラドックス」と同じで、様々な専門家により説明されています。 要は試験が金曜日に行われた場合、それを「抜き打ち試験」と呼べるかどうかのようです。 これを次のパラドックスに置き換えてみます。 「抜き打ち試験」の原文は前頁を見てください。

「伏せた5枚のカード中に1枚以上のエースがある。端から順に1枚づつ開いて行くが、エースかどうかは開いてみるまで判らない」

この文はエースが5枚目だけにある場合は誤りです。開く前に伏せたカードがエースであることが判ってしまうからです。 この文は二つの定義を含んでいます。「1枚以上のエースが(必ず)ある」と「開いて見るまで判らない」で、 この文ではどちらか間違っています。どちらが間違っているかを明らかにするには、以下のいずれかの但し書きを追加することが必要です。

「4枚目までにエースが出なかった場合、エースは1枚もないかもしれない」
「4枚目までにエースが出なかった場合、エースは5枚目にあることが開く前に判る」

学生はこの但し書きのどちらに相当するものが不足しているのか判りません。 木曜までに試験がなかった場合、試験は全然行われないかも知れないのです。 しかし学生はこの不完全な文章を盾にとって「抜き打ち試験の実施は不可能だ」と主張することは出来ません。 それはカードの例で「エースがこの中に存在することは不可能だ」と言えないのと同じです。

学生は教授に、より正確な文章を要求することは出来ても、 「試験が行われるか行われないか判らないのも抜き打ち試験の定義に含まれる」と言われればどうしようもなく、 学生が出来るのは、ドアの上に黒板消し(今は白板?)を挟んでおくこと位でしょう。

つまりこのパラドックスは不完全な文章から成っており、「抜打ち試験」が成立するのは不思議ではないということです。 私は論理学者でもパラドックスの専門家でもないので、これが正しい解答かどうかは判りません。 しかし、私はこう考えてすっきりしました。この感じは禅問答への僕なりの回答と共通する点があるようです。 次はこれも有名な「嘘つきのパラドクス」です。

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