嘘つきのパラドックス

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「私は嘘つきだ」と宣言したとします。

私が嘘つきなら「私は嘘つきだ」という発言は嘘であり、本当は私は嘘つきではない。 嘘つきではないなら「私は嘘つきだ」と言った発言は正しく、本当は私は嘘つきである? 
私は嘘つきなのか、嘘つきでないのか、どちらでしょうか?

「私は嘘つきだ」「例外のない規則はない」「この箱の中には全ての箱が入っている」などは「自己言及のパラドックス」と言えるでしょう。 自分自身を定義するとパラドックスが生ずることがあります。 「私は自分が信じていることを信じている」という文章は、いつまでも終りがない「信じている」という繰り返しを生んでしまいます。

これは感覚的には比較的簡単に片付けられるような気がします。 「私は○○だと宣言すること」「規則」「箱」などの範囲を定め、その一つ上のレベルの「宣言」「規則」「箱」を定義し、 それらは最初の定義には入らないものと考えれば抜け出せます。

「私は嘘つきだ」という文章は「嘘つき」を宣言するための別レベルの文章と考え、それ自体は嘘でないことを許可しましょう。「 例外のない規則はない」という規則は、この文で扱う「規則」より上のレベルのものと考えます。 全ての箱を入れた箱の中にはその箱自身は入っていませんが、「全てを入れた箱」は中の箱とは別の次元のものと考えましょう。

ドラえもんの中で、のび太がUSO800という薬を飲んだ後で「さあ、これから僕が言うことは全て嘘になるんだぞ」と言い、 言ったことと反対のことが起こります。「これから」と断っているのが重要で、まだこの宣言は嘘になっていないのです。 もしこれも嘘なら、その後は全て言った通りのことが起こるはずです。

「例外のない規則はない」は、「クレタ人がクレタ人は皆嘘吐きだと言った」と同様、厳密にはパラドックスではないです。 自分以外も含まれているので、これらの文章は単に間違っているだけで、 「例外のない規則もある」「クレタ人にも嘘吐きでない人もいる」ということです。

自己言及のパラドックスで一番良くできているのは、「真実の口のパラドックス」でしょう。
こちらの第四則の一番下の絵は有名な「真実の口」で、 この口に手を入れて嘘を言うと、抜けなくなる! 手を突っ込んで「僕はこの手を抜けないだろう」と言ったらどうなるでしょう?

次は全能の神のパラドックスです。


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