進化を生ずる基本特性

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ワンダフルライフ」の著者グールドは、 「生命の誕生と進化は完全に偶然が支配しており、もう一度やり直したら、 今とは全く違った生命形態が出来るだろう」と言っています。しかし前回までの考察から 「全くの偶然」の結果を処理するプログラムは、この宇宙の中の全素粒子を動員しても作れず、 偶然の結果に対応出来る進化のルールは存在し得ない、と推論されます。(注)

ルールの無い所に偶然だけが存在したら、出てくるものは方向性のない混沌とした広がりしかあり得ません。 この推論から、「生命の誕生と進化は、この世界に最初から設定された、限定された特性の範囲内で必然的に生じ、 選択されてゆくものでなければならない」と考えられます。


酸素と水素からなるこちら の美しい雪の結晶は偶然に出来るのではなく、原子の周りを回る電子の軌道の特性によります。 従って炭素と酸素と窒素からなる高分子が自然にアミノ酸を作り、RNAやDNAの二重螺旋を作ってゆく原理も、 原子分子の基本特性に還元されるのかもしれません。DNAの螺旋や細胞の構造がどのようにして分子の結合特性から 創り出されてゆくかは、かなり研究が進んでいます。


しかし、雪の結晶の基となる酸素と水素の原子の結合角度は何故110度になっているのか、更に突き詰めて、 110度になるための電子の波の周波数や、電磁力や核力の定数が何故現在の値になっているのか、と問い詰めれば、 最後は「そうなっているからこの世が存在する」としか言えないのかもしれません。

子供向けの哲学書を書いたゴルデルは、「宇宙はこうあるべきだったのさ。そのうちに、 無数の星と銀河の後ろに、何かがあることが判るようになるよ」と言っています。 「そのうちに」は、人類の種の寿命のうちなのでしょうか。それとも辿り着くことのないゴールなのか・・・


:偶然の変異だけでも、 累積により現在の生物体系が出来る、と考えることも出来ます。
アリが沢山いて、巣穴から出鱈目に歩き出すとしましょう。アリの広がりは巣穴の周りが濃く、 遠くに行くにつれて薄くなるでしょう。もし1匹だけのアリを考え、その歩く軌跡を辿ってゆくと、 結果として一つの方向を示すでしょう。どこへ行くかの予測はつきませんが。

出鱈目に歩いている限り、偶然に周囲全部を均一に歩き回ることはないでしょう。 次第に巣穴から遠ざかってゆくと考えられます。確率論では、酔っ払いの行動に例えて「酔歩の問題」と呼ばれます。 アリの歩きを進化の基本となる出鱈目な変異だとし、アリが歩いた一番遠い場所が我々人類のいる場所だと考えられます。

上半身人間、下半身馬のケンタウロスや、羽を別に持った四本足の哺乳類は、 たまたま「アリ」が歩き回った範囲になかっただけなのかもしれません。 生命進化の歴史をやりなおしたら、今度は全く別の生物体系が出来るだろう、というのがグールドの主張なのでしょう。

しかし、この理論では、アリを歩かせている動機や、出鱈目な方向の範囲、 つまりアリは空中を飛んだりテレポートはしない、すなはち変異の隣接可能領域を決めているルールとは何か、 という問題が残ります。そもそも継続して歴史を綴る「アリ」が何らかの方法によって生み出されることが必要です。 それが「生命の誕生」なのでしょうか。

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