人間機械論

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僕は還元主義、物事は分析により解決する、の立場をとります。分解の途上で全体性が見落とされることがあるのは、方法が不適切だからで、還元主義の根本問題ではないでしょう。といってもドーキンスほどの科学原理主義ではなく、グールドのように不可知論者的でもありません。

生命の誕生と進化は淘汰だけでもなく、偶然の変異だけでもない。そこにはまだ解明されていない自然の仕組み、原理、大きな秘密があり、それは決して完全に解明されないのかもしれないけれど、人間はその努力を続けるでしょう。


還元主義は人間機械論と共に嫌われることがあります。しかし「人間機械論」が感じ悪い印象を与えるのは、「機械」という言葉に対する軽蔑が含まれているからでしょう。

女性は子供を生む機械だと言って非難された方がありました。しかしそれは、女性は子供を生むしか能がない単純な機械ということなのか、出産という高度で崇高な機能を持つ尊敬すべきものなのかで意味が異なるでしょう。機械工学出身者としては、機械を侮辱されるのはいい気持ちではありません。女が機械なら男は材料だ、と言った人もありましたが。

人間機械論と言った場合には、還元論上の機械であり、人間の下僕である単純化された機械ということではないと考えたいです。


物理学は全ての現象を素粒子の特性で解釈しようとし、生物学は全てを分子の特性に還元しようとします。そして宗教は全てを神のご意思として棚上げにします。私は、人間の知恵には限りがあり、全てを知り尽くすことは出来ないだろうとは思いますが、人間はどこまでも自然の神秘なる仕組みを追求してゆくだろうと信じます。

こちらで触れた人類の種の寿命、今後4500年から680万年の範囲内では、全てが知り尽くされるということはないかもしれません。問題は人類の寿命の中で、意識と知性という生物最大の仕組みがどこまで解明され、知性が人間というハードウェアを超えて存在するこを可能にするかどうかだと思います。


人間はそれに向けて努力を続けるでしょう。宗教が結果を恐れて研究を禁止するのは、人間の知恵と心を信じていないからだと思います。自分たちの心を信じられるよう、磨き上げてゆくのも宗教の役割ではないでしょうか。

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