エピ(プロ)ローグ

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左: 飛んできたガガンボ。 とまったというより、ひっかかった感じ。 


僕のノートにはまだ沢山の未解決の疑問点、検討したい点が残っています。最初のころの疑問、何故アブの翅は2枚なのかを初め、残っている話題には以下のようなものがあります。

 獲得形質は遺伝するか? 何故日本人の顔や姿は変化してきた?
 昆虫は何故種類が多い? ガガンボの肢は、何故身体を支えられないほど細い?
 進化の収斂は何故起る? 別に進化したフクロオオカミとオオカミは何故似てる?
 何故脳は過剰進化した? クロマニヨン人は現代人同様コンピュータも使える?
そして、
 宇宙の中で、知的生命体を発達させたのは「地球」だけなのだろうか?

これらの疑問に対しては、どなたも一通りの答をお持ちでしょう。 しかし僕はこれまでに納得できるものはありませんでした。宇宙から昆虫まで、 自然の不思議を見ればみるほど、「それらの後ろにある何か」は大きく、遠いものになってゆくようです。

久し振りに、ファーブルの「昆虫記」を読んでみました。最近出版されたのは大部20冊からなり、とても全部は読めませんけど。 ファーブルは進化論に反対していました。昆虫の不思議な世界を見ると、 これが「進化」などで出来るはずがない、と思っていましたし、僕も同感です。 確かに、自然選択だけでは昆虫の世界は説明しきれないでしょう。


左: パナマ運河内陸部を行く貨物船 (Google Earth)


ロジャー・ペンローズは「皇帝の新しい心」で、 心の動きはコンピュータとは全く異なり、コンピュータの延長上にはないと言っています。 ホーキンスは「考える脳、考えるコンピュータ」で、 知性の研究には、ニューラルネットワークその他のプログラム開発ではなく、脳自体の構造と機能の研究が必要だと主張します。

現在の人工知能の研究は実際の脳の機能とは別のものであり、そこからは人間同様の人工知性は生み出されないでしょう。 しかし将来共それが不可能だとは思えません。確かに特定の個人の人格まで含めた全ての脳機能を人工的に創造(または複製) することは現実的ではないかもしれません。それには個人の全ての感覚器官からの入力まで再現する必要があるだろうからです。

しかし人間の知的な好奇心、研究心に限界はないでしょう。我々は努力を続けるでしょう。
こちらで触れた人類の種としての寿命が尽きるまで・・・


生命の誕生と進化の仕組みは、今はまだ完全には判っていない、ということが判ったことで、 「進化論のパラドックス」は一応お休みとし、また新しく勉強を始めます。

僕だって飛べるんだ! :2006ぐんま昆虫の森フォトコンテスト、「小さな生命」優秀賞
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「現代に生きる無門関」 と 「昆虫と花の写真館」 で別個に始まった僕のホームページは自然と進化、 宇宙と無を通じて一つに繋がってきたようです。とても大それたことですが、(ファーブルとペンローズの本と僕の本を並べるなんて!) 科学と哲学と宗教の融合に、ほんの少しでも役立てればと願っています。
でも、こんなに長くしてしまっては、ここまで来られる方は皆無かな・・・


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