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所在地:大阪市浪速区恵美須西1丁目
最寄駅:南海本線「今宮戎」下車東へ、すぐ |
神社の創建は推古天皇の御代に聖徳太子が四天王寺を建立されたときに同地西方の鎮護として祀ったのが始めと伝えられている。ここ今宮はかっては漁村であったことより、漁業を守る神である「戎大神」が祀られたのは自然的な成り行きと思われる。社伝によると、当社は平安中期(醍醐天皇の御代:在位897~930年)より、南北朝の戦乱の時期に一時中断はあるものの、継続して宮中に鮮魚を献進しており、これが明治初年まで続いていたと記録にある。
豊臣秀吉の大坂城築城により、町の発達と共に大阪町人の活躍が始まり、江戸時代に入り、商業の町としてより一層の繁栄を遂げたが、それと共に、この漁業の神「戎大神」も、大坂の商業を護る神様として篤く崇敬されるようになった。十日戎の行事もこの頃から賑わいをみせ始めたとのことである。
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[参考資料] 郷土資料事典大阪府編 (株)人文社
『今宮戎神社』ホームページなど |
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正面の鳥居から本殿を望む。 |
真夏にお参りに行くと、人影が見当たらず貸切状態であった。
当社の祭神は天照皇大神・事代主命の外、3神が祀られている。 |
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拝殿の前庭には植木が沢山置かれていた。『十日戎』などの祭事の時に片付け易いように鉢植えになっている。 |
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[2003年8月23日参拝] |
[2004年1月10日参拝] |
⇒十日戎へ |