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神社めぐり
神社めぐり 高津宮
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高津宮 所在地:大阪市中央区区高津1丁目
最寄駅:地下鉄谷町線「谷町9丁目」下車、北西の方向約500M
高津宮(こうづぐう)の縁起は、平安初期の(貞観8年)清和天皇の勅命により、仁徳天皇の旧都の遺跡を探索し、現在の大阪城付近を社地と定め社殿を築き、仁徳天皇を主神として祭ったのを創始としている。
 以後皇室を始め時の幕府等の度々の造営寄進を受け、浪速津の守護神として信仰を集めてきた。
1583年(天正11年)豊臣秀吉の大阪城築城に際し、「比売古曽社」があった現在地に遷座し今日に至っている。
1945年(昭和20年)3月の空襲により、神輿庫を一つ残して社殿ことごとく焼失したが、1961年(昭和36年)復興完成を見た。
 仁徳天皇の御製『高き屋にのぼりて見れば 煙立つ 民のかまどは賑わいにけり』は、1922年(大正10年)に制定された大阪市歌にも「高津宮の昔より代々栄えをかさねきて民のかまどに立つけむりのにぎわいにまさる大阪市・・・」と歌われておるのはご承知の通りであるが、このシーンを絵馬にしたものが絵馬堂に飾られている。
仁徳天皇が築いたとされる高津宮(たかつのみや)の所在地は、それが存在したか、否かという点を含め、なお確定的ではないそうである。『高津宮跡碑』が天王寺区東高津町の府立高津高校の敷地内に建っている。

[参考資料] 『高津宮案内記』 高津宮パンフレット
高津宮本殿


この本殿には仁徳天皇をはじめとしその一族(仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、葦姫皇后、履中天皇)が祭られている。



比売古曽神社
 ひさしを貸して母屋を明け渡し
 た「比売古曽神社」はこの本殿
 の横に地主神としてひっそりと
 鎮座している。
絵馬殿は1953年(昭和28年)に建設され、1999年(平成11年)に修復された。
江戸時代は展望の名所で、茶店があった。このあたりで、遠眼鏡を貸して大坂の町並みを説明する商いの賑わい振りが、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』でも紹介されている。
現在ではビルに遮られ、視界が利かないが、1955年(昭和30年)頃までは大阪市内が一望出来、晴れた日には六甲の山並まで見渡せたという。
高津宮絵馬殿
高津宮参道 表参道。道の左右は公園になっており、今は桜が多く植えられているが、その昔は梅の名所であった。
ご朱印
高津宮朱印-1
[2003年10月5日参拝]

神社-007/TTL-071

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