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所在地:大阪市浪速区日本橋西2丁目
最寄駅:南海本線「今宮戎」下車、東側左手高速道路をくぐり、
1つ目の辻右に曲がるすぐ |
当社の由緒は、神功皇后の諸国征伐の帰途、海路を難波に向かう途中、皇后の船は海中をぐるぐると廻り、前に進まなかったので、占いをたてたところ、天照大神から、摂津国広田の杜に祀れとの神告があり、この廣田の地に天照大神の荒魂「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)」を祀ったのが、廣田神社の起源とされている。
神功皇后の頃はこの辺りは海岸だったのは想像に難くないが、海岸の近くにある神功皇后にまつわる神社(「住吉大社」、「敷津松之宮」など)には、それぞれに祀る祭神が異なるのはどうしてだろうか。
当社の創建年代は不詳ではあるが、上記のごとく古い由緒を持ち、江戸時代には広田の杜といわれ、「浪花百景」にはうっそうとした森の中の社として描かれており、当時は境内も広く、紅白二種の萩を植えた茶店があって、萩の茶屋と呼ばれていた。
又、当社は、祭神の一人に「賢彦名命(さかひこなのみこと)」を祀り、この神はアカエ(エイ)に乗り訪れる智恵の神様で、無病息災・痔疾をはじめ難病治癒にご利益があり、叡知の“エイ”に通じることから合格・必勝の祈願を叶えるといわれており、広く信仰されている。
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[参考資料] 『わがまち、わがやしろ』 廣田神社パンフレット |
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廣田神社の本殿。参拝した日は生憎の雨のためか、他
に参拝者の姿はなく、境内はひっそりとしていた。 |
境内の一角に大きな灯篭が並んで建っている。写真の正面の2灯には1768年(明和5年)正月吉日の銘がある
エッセイストの額田武氏が書
かれた「アカエ」にまつわる看
板が境内に掲げられている。
額田氏は「エイ」の信仰はこの
辺りが漁師町であった所から
ではないかと推察されている。 |
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廣田神社の摂社の「赤土稲荷」。鳥居の赤さが非常に鮮やかである。 |
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[2004年1月17日参拝] |
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