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所在地:大阪市中央区博労町4丁目
最寄駅:地下鉄御堂筋線「本町」下車、南へ約300M |
当社の縁起は、5世紀の初め、反正天皇が河内国丹比柴籬宮(たじひのしばがきのみや:現松原市上田)に還都を行った時、同地に父仁徳天皇をしのんで創建されたのが始まりで、仁徳天皇、素盞嗚尊(すさのおのみこと)、倉稲魂尊(うがのみたまのみこと)を祭る。943年(天慶6年)には摂津平野郷(現天王寺区)に遷座。
現在の地には、1583年(天正11年)豊臣秀吉が大坂城を築く際に、移転をさせている。
た。当地は上難波村といわれ、当社は「上難波神社」又は「仁徳天皇社」と称していたが、1875年(明治8年)「難波神社」と、改められてた。
なお、天正期の建物は1666年(寛文6年)火災により、神宝や神輿とともに焼失している。その後も本殿は度々火災や、御堂筋の工事の際に立て替えられているが、近年では1945年(昭和20年)の大空襲のときに鳥居と玉垣を残し全焼、戦後再建された。
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[参考資料] 『難波神社案内記』 難波神社パンフッレト |
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難波神社の鳥居。神社には4方に鳥居が建っているが、これは御堂筋に面した鳥居。 |
現在の本殿は、先の大戦の空襲で全焼し、1948年(昭和23年)より仮宮によっていたものを、1974年
(昭和49年)に再建された。 |
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境内の西側にある稲荷神社。船場の商家を中心に信仰を集め、近年においても「博労(ばくろ)町のおいなりさん」として親しまれている。 |
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境内にある大きなくすの木。大阪市の保存樹に指定されている(指定第1号)。
くすの木の向こう、南側にある鳥居が正門らしい。 |
植村文楽軒が1811年(文化8年)に当社境内に人形浄瑠璃の小屋を開いた。明治の初め、文楽軒が九条の新開地に移った跡に「彦六座」が開かれ、御霊神社の境内に帰った「文楽座」とはり合った。 |
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[2005年3月13日参拝] |
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