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所在地:松原市北新町2丁目
最寄駅:近鉄南大阪線「布忍」下車、線路伝いに北へ、踏み切りの
通りを西へ、宮橋を渡る |
当社の創建は明確な記録は残っていないが、かって当地に隆盛を誇っていた永興寺(明治初年に廃寺となった)の前身で、平安時代の1089年(寛治3年)建立されたと伝わる布忍寺の鎮守として、既に存在していたとの記録もある。
布忍という地名・社名は日本国内唯一とのことであるが、その起こりは、当社は南枯木(現東住吉区矢田)の阿麻美許曽神社から分身を迎える時、白い布を敷いて迎えたため、村の名前を向井と称し、「ぬのしき」から布忍の名が生じたと伝わる。
当社は数々の社宝を有している事でも知られる。1982年(昭和57年)本殿の修理の際、1663年(寛文3年)に奉納された「大乗妙典奉納札」(府指定文化財)が発見され、本殿板壁と脇障子に江戸初期の狩野派画家・狩野探幽が描いたとされる唐獅子の壁画の下絵が確認されている。
また、1705年(宝永2年)に奉納された「布忍八景」と題する4枚の絵馬には、布忍周辺の名所の絵とともに、漢詩・和歌・俳句などの作品が記されている。これら作者の中には当時の大坂を代表する文人の契沖、下川辺長流、小西來山、その女の名が見える。
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[参考資料] 『布忍神社略記』 布忍神社パンフレット
『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社 |
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布忍神社の西側の正門(上の写真)と宮橋を渡ったところにある東側の鳥居(右の写真) |
標柱の向こうは社殿。その奥の本殿は江戸時代の初期の建造物。
祭神には八重事代主命(ヤエコトシロヌシノミコト)、速須佐男命(ハヤスサノオノミコト)、武甕槌雄命(タケミカズチノミコト)の3神を祀る。 |
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訪れた6月30日と翌7月1日の2日間は「万灯篭」と呼ばれ、境内一面に置かれた灯籠に点火され、荘厳な雰囲気になる。 |
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[2005年6月30日参拝] |
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