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史 跡
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・04/6/6
大阪天満宮の句碑を追加
・13/9/21
今宮戎神社の句碑を追加
小西來山の墓へ
來山の句碑 所在地:
一心寺:大阪市天王寺区逢坂2丁目
四ツ橋跡:大阪市西区新町1丁目
大阪天満宮:大阪市北区天神橋2丁目
今宮戎神社:大阪市浪速区恵美須西1丁目
小西來山は江戸前期に活躍した俳人で、1654年(承応3年)大坂淡路町の薬種商に生まれた。
通称、伊右衛門。初号は滿平、後に十萬堂・湛々翁などを名乗った。初め宗因門下の前川由平に学び、その後直接宗因についた。俳諧では独特の感覚を見せ、談林調の道化や駄洒落から抜けて、蕉風の「さび」にも通じる作風を示した。鬼貫(おにつら)とも親交があった。
  代表的な句に『お奉行の 名さへ覚えず 年暮れぬ』『門松や 冥土の旅の 一里塚』などの軽妙洒脱な句のほか、『両方に髭があるなり 猫の妻』『鉢に植ゑて 甲斐なき萩の そよぎ哉』などがある。墓は天王寺区の一心寺と浪速区の海泉寺にある。

[参考資料] 『大阪人物辞典』三善貞司編 清正文堂出版社

一心寺境内に建つ句碑
一心寺境内に建つ來山の句碑 「一心寺」境内に小西來山の『時雨るや しぐれぬ中の 一心寺』句碑が建っている。
この句はこの寺の近くの今宮村(現在の浪速区恵美須町)の住居(十萬堂)から、一心寺を遠望して詠んだとされる。

四ツ橋跡に建つ句碑 四つ橋跡に建つ來山の句碑
大阪市西区四ッ橋跡高速道路の下に來山の句碑『涼しさに 四橋を四つ 渡りけり』が建てられている。
この句は近年、來山の作ではなく同時代の大坂の俳人
盤水(ばんすい)の作であるとの説も出ている。

盤水:大坂の俳諧師。生没、経歴共に不詳。來山とは親交があり、來山が存命中の1702年(元禄15年)刊の「俳諧花見事」には『四橋』の句は盤水作と載っている。


四つ橋跡に建つ來山と鬼貫の句碑
「四つ橋」の跡地には來山と鬼貫の句碑が並んで建っている。

大阪天満宮境内に建つ句碑

今宮戎神社境内に建つ句碑
大阪天満宮境内に建つ來山の句碑 今宮戎神社境内に建つ來山の句碑
「大阪天満宮」境内に『夜の明けて 尾花大きく 成れにけり』の來山の句碑がある。
この句碑は、1984年(昭和59年)に建立されている。背面にある碑文によると、文字は來山の真蹟を刻んだとのことである。
「今宮戎神社」境内に『蕣(あさがお)の 雨天にしぼむ 是非もなし』の來山の句碑が建つ。
この句碑は、1979年(昭和54年)に建立されている。背面にある碑文によると、文字は來山の真蹟から採ったとのことである。

史跡-015/TTL-151

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