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所在地:大阪市東住吉区山坂1丁目
最寄駅:JR阪和線「南田辺」下車、東へ約100M |
当山は山号を紫金山、院号を小松院と号し、その創建は、平清盛の嫡子で小松の大臣(おとど)と呼ばれていた平重盛が1178年(治承2年)に開創したのに始まるとしている。重盛は、宋の国・育王山の仏照国師の徳を慕い、我国への招聘を働きかけたが実現せず、その代わりに育王山伝来の紫金仏舎利が贈られてきた。そのためこの田辺の地に一寺(法楽寺)を建立し、仏舎利を納めたという。
創建以来の建物は戦国の末、元亀年間(1570~3年)頃まで護持されてきたが、織田信長の兵火に罹り、全て灰燼に帰した。その後、江戸中期の1711年(正徳元年)河内・野中寺より晋山した洪善大和上が大和大宇陀、松山藩藩主織田家の殿舎を譲り受け復興したという歴史がある。
また、江戸時代後期の高僧・慈雲尊者が13歳の時、当山の忍綱貞紀和上の弟子となり得度。27歳のとき河内高井田(現東大阪市)の長栄寺にて真言正法律を提唱した。
この寺は1873年(明治6年)に府下で最初の小学校の置かれたところでもある。当山は田辺にあるところから、本尊の不動明王は『田辺の不動さん』と人々に親しまれ,毎月28日には遠近の参拝客で賑わう。
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[参考資料] 『郷土資料事典』大阪府編 (株)人文社
『法楽寺略記』 法楽寺パンフレット |
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山門は本堂と同じく正徳年間(1711~1716年)に再建されたものである。 |
正面の建物は本堂。1978年(昭和53年)に大修理が行われたが、その時に発見された「青不動」の仏画は、日本三不動の名のある京都・青蓮院の「青不動」にも劣らない名画とされ、1980年(昭和55年)国の重要文化財の指定を受けた。 |
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1996年(平成8年)に再建された「平成の三重塔」。
塔の総高23.4m、塔身(相輪部分を除く)は15.4m。
堂内に本尊大日如来像、脇侍に不動明王、愛染明王を祀る。 |
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法楽寺境内墓地の一角に慈雲尊者の両親の墓がある。 |
尊者は父上月安範53歳、母お清35歳の時、1718年(享保3年)7男1女の第7男として生まれている。
尊者が13歳の時に父を亡くし、その遺命と母の勧めにより、当山にて剃髪、出家をした。 |
境内の一角に「田辺大根ゆかりの地」の碑が建てられている。大阪においてもご当地野菜が見直されており、田辺大根も長い間、幻の野菜となっていたが、近年種子が見つかり、2000年頃より、栽培が始まったという。 |
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おおさか十三仏霊場 |
近畿三十六不動尊霊場 |
摂津八十八ヶ所霊場 |
役行者霊蹟札所 |
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[2003年9月13日参拝] |
[2003年9月13日参拝] |
[2004年4月7日参拝] |
[2005年9月14日参拝] |