  |
所在地:八尾市教興寺
最寄駅:近鉄信貴線「信貴山口」下車、南へ約1KM、土地水道局の所坂道を上がる。墓地の案内看板有り |
当山は聖徳太子の開基で、日本で最も古い寺院の1つである。587年(用明天皇2年)太子14才の時、仏教受容の可否をめぐって、蘇我氏と物部氏の戦いとなったが、崇仏派の蘇我氏は三たび敗退を余儀なくされた。
その時に軍陣に在った太子は夢告によって山中のヌルデの木を求めて、四天王像を刻み、戦勝の祈願を行った。これにより、蘇我氏が勝利を得て、ここに仏法興隆の基がきずかれたが、太子は後日このヌルデを求めた地に観音像を祀られたのが当寺の始まりであると伝えている。
その後、寛文年間(1661〜73年)に黄檗開山隠元禅師がこの地に巡錫し、弟子の木庵禅師に命じ、黄檗宗の寺として復興させ、自ら染筆し、「寿福山」の山号の額を造らしめた。以来、当山は禅寺として、黄檗宗の念仏禅を宗旨として現在に至っている。 |
ヌルデ(白膠木)の木:山野にはえるウルシ科の落葉小高木で高さ6mくらい。雌雄異株。小葉の間にあるヒレが特徴。秋早く美しく紅葉するので、ヌルデモミジともいう。東南アジアに広く分布している。
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[参考資料] 『寿福山梅岩寺ご案内』 梅岩寺パンフレット |
 |
 |
階段を上ると中国のお寺を思わす山門がある。
山門に掲げられている額は隠元禅師筆のコピーで、本物は傷みを避けるため、本堂に保存されている。 |
山門の脇にある「六方歓喜天」の石像。人身象頭の像が、描かれている。ヒンズー教でよくお目にかかるが、日本のお寺では珍しい。 |
本堂には本尊の聖観世音菩薩(平安時代末期の作)をはじめ聖徳太子像、弁財天像などが祀られている。
本堂の斜め前に建てられてい
る別院(阿弥陀堂・釈迦堂)本
堂より、2周りほど大きい建屋
である。 |
 |
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境内にあった人足の寄進を記した石碑。
碑には「奉寄進人足千四百拾人」とあり、何か工事の時に有力者が人足を無償で、提供したのだろうか。裏面には「従安永四未 天明弐寅迄」と提供した期間が刻まれている。因みに、これは1775年から82年までの7年間に及んでいる。 |
 |
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河内三十三ヶ所観音霊場 |
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[2004年6月18日参拝] |
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