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所在地:八尾市恩智中町4
最寄駅:近鉄大阪線「恩智」駅下車、東へ約600m |
当山の縁起は、現在の地に江戸中期より来福寺という名の小さなお堂があったところで、1906年(明治39年)に、現在地より東南200メートル生駒山系の中腹にあった恩覚寺と合併し、以来、来恩寺(融通念仏宗)としての歴史は100年足らずだが、来福寺(浄土宗)、恩覚寺(真言宗)の合併の名残として、本尊の観音菩薩像の脇にそれぞれ、阿弥陀菩薩と弘法大師像が安置されている。また、元の観音像は移転の際、傷みがひどく現在は本堂に安置されず、新しい観音像と観音画像を祀られている。
このホームページをご覧になった方からの情報によると、来恩寺には江戸時代の十一尊天得如来像の本尊を保有しておられることから、疑問に思っていたところ、融通念仏宗の本山である大念仏寺から、「来福寺、恩覚寺とも、もとは融通念佛宗の寺院であったが、法統が途絶え、それぞれ浄土宗、真言宗の僧侶にお願いしその後、合併まで継続したものと思われる。」との情報が得られたとのことで、来恩寺の歴史の1ページが新たに書き加えられることになった。
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[参考資料] 『河内西国巡礼』 河内西国霊場会編 |
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近鉄「恩智駅」より東へ300m。旧国道170号線(高野街道)をわたり、恩智神社の鳥居を越えたところに来恩寺はある。 |
本堂は、来福寺、恩覚寺合併の際に建てられたもので、
100年の歴史がある。
1991年(平成3年)に本堂の
屋根瓦の葺替えが行われ、古
い鬼瓦等が境内に保存されて
いる。 |
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お寺を出た通りにある「目無し地蔵」(後の白塀が来恩寺)。
近くに住んでおられる人の話では昔から地元の人達の信仰の対象になっているとのことで、石仏の前には新しい花が供えられてあった。
道路の一部を占領しており、道路拡張の際にも移転出来なかったものと思われる。 |
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河内三十三ヶ所観音霊場 |
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[2004年6月18日参拝] |
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