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所在地:八尾市恩智中町
最寄駅:近鉄大阪編『恩智』駅下車、東へ約1.1KM |
当寺は、古くは恩智神社の神宮寺で、別当坊、六坊の筆頭坊であった。
この恩智の地は、いにしえ神武天皇東征の際、孔舎衙の戦いで、神武天皇が大樹に身をひそめて難をまぬがれたので、母の如き恩ある木として「母木」と名づけ、この木のある里名を母木里と呼んだと伝わる。
後に聖徳太子がこの地を訪れたときには、この大樹は既に枯れており、太子は非常に残念がり、河内の
仏師鞍蔵に命じてこの木の古株をもって十一面観音の像を作らせ、恩智神社に安置した。明治初年の神仏分離により、この観音像は当寺に移され、祀られている。
その他、「絹本着色不動明王像(平安時代)」、「絹本着色十一面観音来迎図(室町時代)」や慈雲尊者の裏書のある「十六善神像」など寺宝が多い。
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[参考資料] 『現地解説碑』 東大阪市
『河内二之宮恩智神社由緒略紀』 恩智神社パンフレット |
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恩智神社の参道(階段)に面したところに、当山の山門がある。 |
本堂に安置されている十一面観音立像は、聖徳太子が仏師に命じて造られたとの伝承があるが、現在では平安時代の作とされ、国の重要文化財に指定されている。
本堂と向き合う形で建てられ
ている観音堂。 |
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境内には良く手入れされた庭園が広がる。
この庭園は江戸時代の後期に愛石という僧の設計によると伝えられる。後ろの山を借景にしている。 |
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河内三十三ヶ所観音霊場 |
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[2004年6月18日参拝] |
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