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所在地:大阪府寝屋川市菅相塚町
最寄駅:京阪本線[香里園]下車、京阪バス[三井団地行」で[末広町」下車、北東へ徒歩5分 (「成田不動尊」より北へ約500M) |
菅相塚(かんじょうづか)は菅原道真が大宰府に左遷される途中、当地に立ち寄り、村人に案内され京都の方を望んで、名残を惜しんだところと伝えられ、地名の由来ともなっている(地名はかんそうづか)。
かっては祠があったとのことだが、現在ではこれらしきものは何もなく、現地には解説板が建っているのみで、周りは住宅地となっている。
また、現地の解説板には『道真の娘の苅屋姫が父の非報を伝え聞いたのは、道真が大宰府に出立する日のことであった。姫はとるものもとりあえず、父を見送るため、陸路で後を追うが、この丘に到ってようやく、父が乗るとおぼしき屋形船の姿を見つけたが、船影は遠く、苅屋姫は口惜しさに地団駄を踏みながら、嘆き悲しんだ.。』との、伝説をメインとして記載している。この物語は、枚方にある「さだ神社」の縁起とダブルところがあるが、こちらの方が高台にあり、より真実味がある。
現在でも、このあたりからは、家並みの間から、淀川の流れを垣間見ることが出来る。
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[参考資料] 『現地解説板・菅相塚伝説』 寝屋川市 |
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遺跡の『菅相塚』に向かう階段。そばの電柱に「菅相塚町」の町名の表示がある。 |
遺跡は広場になっており、住宅地に囲まれたところにあった。土が小高く盛り上がったところはコンクリートで固められており、植えられている松の木は枯れていたが、この箇所も遺跡の一部かどうかはよく分からない。 |
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松の木の箇所を反対側に回って見たところ。駐車場になっており、松の木の根の部分が大きく削られているのがわかる。 |