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所在地:大阪市天王寺区伶人町
最寄駅:地下鉄谷町線「四天王寺前」下車、南西出口を南へ150M |
浮瀬(うかぶせ)亭は清水寺の北にあった料亭で、江戸時代の名所案内書『摂津名所図会』や『浪華の賑ひ』にも掲載されており、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも登場している。松尾芭蕉のほか、与謝蕪村、太田南畝(蜀山人)、滝沢馬琴などの有名な文人たちが訪れている。
芭蕉が訪れた頃は「晴々亭」と呼ばれていたが、「浮瀬亭」と呼ばれるようになったのは、あわび貝でつくった「浮ぶ瀬」という大盃(7合5勺も入る)をはじめ、種々の盃を秘蔵しており、これを飲み干した人は名誉として「暢酣帳(ちょうかんちょう)」に名前を記載したところから、その奇盃が有名になり、料亭の名前として呼ばれるようになった。
この料亭は1887年(明治20年)頃売りに出され個人の別荘となったが、変遷を得て現在では大阪星光学園の構内の一部になっている。
その後建物は無くなったが、1800年(寛政12年)大坂の俳人茅渟奇淵(ちぬのきえん)が建立した松尾芭蕉の句碑(松風碑)は残されており、学園では1982年(昭和57年)に、この「松風碑」を含め、
浮瀬亭史跡を整備。併せ、「蕪村200年忌追善」行事として、蕪村の句碑を建立されている。
これらの史跡は大阪星光学園に申し込めば拝観することが出来るが、訪問する際には授業の邪魔にならないためにもあらかじめ、電話等で予約をしておく必要がある。
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[参考資料] 『日本歴史地名体系』 平凡社
『浮瀬俳跡芭蕉園』 大阪星光学園編 |
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大阪星光学園の正門の内側にある「浮瀬」の石碑。 |
浮瀬亭の跡地は1983年(昭和58年)「浮瀬俳跡 蕉蕪園」として整備されている。
園内には下の写真の蕪村の句碑以外にも、同学園の卒業記念として、ここ浮瀬亭で詠まれた芭蕉の句碑が建てられている。 |
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与謝蕪村の「うかぶせ句碑」。
蕪村がここ浮瀬亭で詠んだ『うかぶ瀬に 沓並べけり 春の暮れ』と『小春凪 真帆も七合五勺かな』の二句が刻まれている。碑文の文字は蕪村の真跡から採られている。1982年(昭和57年)の建立。 |