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所在地:京都府宇治市六地蔵柿の木町 正行寺境内
最寄駅:JR奈良線「六地蔵」下車、西南へ約300M
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1348年(正平3年)四条畷の戦いで弟正時と差し違え戦死した楠木正成の首塚が宇治市六地蔵のその名も正行寺という寺院にもある。
境内に掲げられてあったお寺の由来によると、正成は最後に臨み、同行していた随臣の安間了意を呼び『わが首を敵に取らしむる勿れ』と遺命した。了意は首級を携え吉野に逃れようとしたが、足利の軍勢に遮られたため、ここ六地蔵に埋葬したという。
その後、後村上天皇がその忠死を追悼され、一宇の小堂を墳墓の上に建立し賜い、その墓は600年の間隠匿していたが、 昭和の時代に入り、陽のあたる場所にと境内に移された。
了意が四条畷から吉野に向かおうとしていたものが、足利軍に行く手を遮られたとしても、何故全く方向の違う宇治なのかよく分からないが、お寺の名前からして、墓の存在は説得力を持っている。
また、別の話として、正行の弟正儀の子供に正勝という人がいるが、この人が晩年虚無僧となったが、この寺の近くの五ヶ江に虚無僧ゆかりの吸江庵があったことから、正勝はこの地の隠れ住み、一族の菩提を弔ったとの話も伝わっている。
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[参考資料] 『現地説明板・正行寺由来』 正行寺 |
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正行寺は浄土真宗本願寺派のお寺。
訪れた時(05・12・10)は本堂は建替えの最中で、完成間近であった。
真新しい本堂。扁額はま
だ架かっていない。 |
境内の一角にある楠木正行と正時の首塚。
これら宝篋印塔や五輪塔は本堂の床下に隠され、密かに弔われてきたと伝わる。
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最初に訪れてからちょうど1年後の06年11月末、所要のため当地の近くに来る機会があったので再度寄ってみた。1年前に比べ、境内もきれいに整備されていた。 |