大海人皇子は、隠棲していた吉野を出て自身の領地のある美濃へ出発します。初めは、賛同する兵も多くはありませんでしたが、伊賀、伊勢を通り美濃にたどりつくまでには、かつての政治に不満をもっていた豪族らを次々に味方につけ、あっという間に圧倒的な兵力を手に入れてしまいます。そして、大海人皇子は、その兵を琵琶湖を挟むように二手に分け進攻させていきます。
大友皇子(天智天皇の子)側も進撃体制を整え、防戦しますが1ヶ月の後、琵琶湖の南に位置する瀬田での戦いで大敗を喫すると、その翌日、山前(琵琶湖の南西辺り)で大友皇子は首をくくって自害することになるのです。25歳という若さでした。
この叔父と甥が皇位継承をめぐって激しく激突した争いを壬申の乱といいます。
その後、勝利した大海人皇子は天武天皇となり、天皇を中心とした国家づくりに力を注いでいきます。
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