歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記満州事変 



 

満州事変の原因について


 満州事変(まんしゅうじへん)とは、1931年9月に関東軍(日本の満州駐屯軍)が南満州鉄道を爆破し、それを中国軍の仕業であるとして満州の大半を占領してしまった出来事です。

 では、この満州事変について、すこし詳しく見てみましょう。

 当時の日本は、第一次世界大戦にてアジア唯一の勝利国となり日本には好景気が訪れました。しか〜し!そんな時代も長くは続かず1923年に関東大震災、1927年には金融恐慌、1930年には昭和恐慌と続いていきます。

 そんな中で日本の軍部の中には現状を打破しようと大陸進出を訴える者も出てくるようになります。

 そして、1931年についに満州事変がおこります。関東軍は中華民国奉天郊外の柳条湖(りゅうじょうこ)にて南満州鉄道を爆破!これを中国軍の仕業であるとして軍事行動を開始。

 実は、この軍事行動には天皇や政府は反対していました。戦線不拡大、これ以上戦線を広げるな!という指示を出していたのですが、軍はこれを無視し満州の大半を占領してしまいます。

 その後は、の最後の皇帝であった溥儀(ふぎ)を担ぎ出し満州国という日本の操り人形のような国を作り上げることになるのです。


 まぁ、これが満州事変の大まかな流れですね。しかし、これだけだと歴史に詳しい方に怒られそうなのでもう少し詳しく書きますね。こっちは、世界史も絡んでくるのでちょっとややこしくなりますよ〜。

 時代は1894年の日清戦争。(随分さかのぼるけどこの辺から書かないとわかりづらい)日本は勝利をおさめ遼東半島という場所を清からもらいます。

 
小さい画面だと見づらいかな?
黄色い部分が遼東半島です。
その先っぽが大連や旅順といった地域


 しかし、後に三国干渉によりフランス、ドイツ、ロシアが日本に遼東半島を清に返せ!と言ってきて日本はいやいや遼東半島を清に返します。ここで、ちゃっかりしていたのがロシア。日本が返した遼東半島の旅順、大連といった地域を租借といって一定期間領土を借りる契約を結びます。それをいいことに当時、南下政策といって下に下に領土を拡大していこうと考えていたロシアは満州地域しっかりと支配していくのです。

 まぁ、これはロシアに限らずイギリス、ドイツ、フランスなども清の土地に侵略を加速していた時代だったんですけどね。

 
当時の中国への勢力図。ロシアは満州に軍を滞在させる。

 そして、ロシアの南下政策に危機感を感じていたのが日本。ロシアは朝鮮半島にまで南下しようとしていたので日本と戦争となります。朝鮮半島は日本も狙っていましたから。これが日露戦争です。1904年です。

 この日露戦争に日本は勝利!これで旅順、大連や南満州鉄道(旅順〜長春間)を譲り受けます。本来、清の土地であったはずなのですけどね。もう、勝手にやりとりがロシアと日本の間で進んじゃうんです。そもそも、日露戦争も清の土地の取り合いで始まった戦争。しかし、清は完全に手を引いちゃいます。「もう、勝手にやってよ。どっちの味方もしないぞ!」って具合です。

 事実上、日露戦争前まではロシアが侵略していた満州も密約によって「南は日本に上げるから北はロシアに頂戴。」って勝手に分け合っちゃうんです。

 
黄色の部分が日本の勢力範囲。ピンクがロシアの勢力範囲


 それ以降は、日本は満州に投資していきます。学校、病院、駅(今でも赤レンガ造りの東京駅にそっくりな駅が残ってますよ)、炭鉱などなど。人もどんどん日本から満州に渡りました。

 しかし、そこに辛亥革命が起きます。清の時代が終わり1912年に中華民国が成立したんです。

「おいおい、君たち清の時代はどうだったか知らんが、そこは中国の土地なので出て行きなさい!」

 ということになるんです。「マジですか?もう貰った気でいたんですど!だいたい、まだ中華民国は出来たばっかりでめちゃくちゃじゃないっすか!」

 当時の中国は、各地で列強国の支援を受けて独自の政治を行う軍閥分立時代というのに突入していたんですね。それで中国から周辺地域が独立を画策する動きを見せていたんです。外モンゴルやチベットはこの時に独立を宣言しています。チベットは後に中国の支配下に戻っちゃいましたけどね。

 このような時代背景もあり、日本も満州事変という強引な手法を使って満州を占領。その後、満州国という国を独立させてしまうんですね。

 これが満州事変の流れです。ロシアや中国の時代背景も同時に見ていくとなぜ日本は満州事変なんていう無茶苦茶?なことしたのかがわかりますね。

 しかし、この満州事変が後に日中戦争、更には太平洋戦争へともつれ込んでいくことになります。