三国時代の始まり
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漫画やアニメ、ゲームなど日本でも幅広い層に人気の三国志。この三国時代はどのようにして始まったのか?
三国志の前半の時代。中国の国号は「漢」でした。まずは、この漢が興るまでの中国の歴史の過程をみていきます。
実在が確認できる中国最古の王朝は「殷」です。それを滅ぼすのが周。その周が衰えをみせると春秋時代、戦国時代が始まります。戦国七雄と呼ばれ韓、趙、楚、秦、魏、燕、斉、それぞれの国には王がいて勢力争いを繰り広げる時代です。
その中で、これらの国を統一したのが秦でした。この秦の王が始皇帝。有名ですね。
しかし、この秦の時代は、すぐに終わることになります。始皇帝が50歳という若さで亡くなり、後を継いだ2代目の胡亥は、始皇帝の側近であった趙高という人物のいいなり・・・。結果、暴政が続くこととなり、反乱が起こります。
そして、秦は2代で滅び、次に天下をとったのが劉邦の「漢」でした。項羽と劉邦でこちらも漫画や小説などで有名ですね。
9尺、およそ207センチもあり怪力の項羽に対して、女と酒を好む劉邦。結果としては、人望で優る劉邦が天下をとるわけです。
この劉邦が樹立したのが「漢帝国」です。
漢は、繁栄を続けますが、15代目の皇帝の時代(西暦8年)に一度滅びます。王莽という人物が皇帝を殺害し、2歳の皇帝を新たな皇帝として即位させるんですね。そして、帝位を譲らせて王莽自身が皇帝となるのです。そして、「新」という王朝を樹立します。
しかし、農民らの乱が起こり、王莽は殺されてしまうんです。そして、その乱を沈め皇帝となったのが漢の末裔である劉秀(光武帝)。西暦25年に漢は光武帝によって蘇ります。
漢は、一度は滅んでいるため「前漢」「後漢」と分かれて言われています。
いったんは蘇る漢でしたが、後漢となって2代目の皇帝が48歳で亡くなると、その後の皇帝が極端に短命な時代が続くことになります。そうなると、宦官や外戚の力が強くなっていくんですね。
皇帝が若すぎるわけですので宦官といって皇后らのお世話をしている者どもなんかが政治に介入して利権を得ようとしたりするんです。皇后からの信頼は厚いですからね。また、外戚といって王の母親や王妃の親戚らが皇帝が若いことをいいことにやりたい放題する輩もでてくるんです。
こうした混乱の中、ついに反乱が起こるのです。そう、三国志の冒頭・・・。あの黄巾の乱ですね!
>三国志と三国志演義の違い
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