靖国問題について
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日本では、首相が変わるたびに必ず浴びせられる質問が「靖国神社(やすくにじんじゃ)」にお参りするのかどうか?時の首相が靖国神社にお参りすると必ず中国や韓国から批判がきますね。
この靖国問題に関して、歴史サイトである当ホームページもちょっとこの問題に触れておこうと思います。
そもそも靖国神社とはどういった神社なのか?
靖国神社とは、明治2年に明治天皇によって建てられた「東京招魂社」が始まりで明治12年に「靖国神社」と名を改められました。
この靖国神社には、明治維新後の戊辰の戦争、西南戦争、日清戦争、日露戦争、満洲事変、太平洋戦争などで国のために命を捧げた人々の魂が祀られています。
イメージ的には、太平洋戦争(第二次世界大戦)の戦没者のイメージが強い方も多いでしょうが、実は坂本竜馬なんかも靖国神社に祀られているのですよ。
靖国神社も神社というからには当然神様が祀られています。皆さんの地域の神社にも神様がいますよね。学問の神様、恋愛の神様、病を治す神様、厄を追い払う神様・・・。靖国が他の神社とちょっと違うのは、かなり多くの神様を祀っているという点。その数なんと246万6000余柱!「柱」というのは、神様の数える単位です。なぜ、これほど多くの神様がいるのかといえば、先に記したように戦争で国家のために亡くなった方たちを神様として祀っているからなのですね。
靖国神社へ合祀されている英霊の柱数 |
明治維新前後 |
約8000柱 |
西南戦争など |
約7000柱 |
日清戦争 |
約16000柱 |
日露戦争 |
約88000柱 |
第一次世界大戦 |
約5000柱 |
満州事変 |
約17000柱 |
支那事変 |
約191000柱 |
太平洋戦争 |
約2134000柱 |
なぜ、首相が靖国神社に参拝すると中国や韓国から批判を受けるのか?
ご存知の方も多いでしょう。この靖国神社にはA級戦犯といわれる戦争で指揮をとった軍隊の上層部や政治家なども祀られています。
A級戦犯というのは、太平洋戦争後に東京裁判において有罪判決を受けた戦争犯罪人とされている人たちです。A級戦犯は戦争を計画、遂行した罪の人たち。ちなみにB級戦犯というのもあります。これは病院などを攻撃したなど国際法ではやってはダメとなっていた規則を無視した人たち。C級というのは捕虜や一般人を殺害したり虐待したりした罪となった人たちです。
中国や韓国からしてみたら、このA級戦犯がもっとも罪が重いと考えられているわけです。「なんで、重罪人が祀られている神社に首相が参拝するんだ!」と怒っているのですね。
では、いつ頃から、中国や韓国との間でこの靖国参拝が問題となり始めたのか?
それは、昭和60年8月15日の当時総理大臣を努めていた中曽根康弘元首相による靖国公式参拝からです。
中曽根さんは、この時、「私的参拝なのか?公式参拝なのか?」と問われ「もちろん公式参拝です。内閣総理大臣としての資格において公式参拝しました」とはっきりと答えました。これが中国の怒りをかうこととなるきっかけとなります。
公式参拝ということは国の代表としてA級戦犯者の祀られている靖国神社に参拝したということですね。しかも、8月15日は太平洋戦争の終戦日です。靖国神社には、明治初頭から国のために命を捧げた人々の魂が祀られているわけですが、8月15日の参拝となると、どうしても太平洋戦争での戦没者に限定してお参りしたように見えてしまう・・・。これが中国から怒りをかうことになったのですね。
歴代首相の靖国神社参拝数 |
東久邇宮稔彦王 |
1回 |
幣原喜重郎 |
2回 |
吉田茂 |
5回 |
岸信介 |
2回 |
池田隼人 |
5回 |
佐藤栄作 |
11回 |
田中角栄 |
5回 |
三木武夫 |
3回 |
福田赳夫 |
4回 |
大平正芳 |
3回 |
鈴木善幸 |
9回 |
中曽根康弘 |
10回 |
橋本龍太郎 |
1回 |
小泉純一郎 |
6回 |
しかし、なぜ昭和60年にもなってから急に騒がれ始めたの?
実は、戦後すぐにA級戦犯の人たちが靖国神社に祀られたわけではないのです。
A級戦犯の人たちの魂が靖国神社に合祀されたのは1978年(昭和53年)のこと。戦後から随分経ってからのことです。
神社に魂を祀るといっても、別に骨を埋めるわけではありません。墓地ではありまえんし、戦争で亡くなった方では、遺体が見つからないケースも多くあったでしょからね。あくまで魂を祀るわけですので方法としては、霊璽簿(れいじぼ)という名簿のようなものに筆で階級や氏名などを書き込み儀式にそって本殿に祀るのです。
では、なぜ1978年にA級戦犯の人たちを靖国神社に合祀することになったのでしょうか?
1952年にサンフランシスコ講和条約の発行によって日本は主権を回復しました。戦後の連合国軍の占領下から正式に独立を果たしたわけですね。すると、国内では戦犯者の釈放を求める運動が起こります。これは、多くの署名を得て、1952年に戦争犯罪による受刑者は釈放。すでに亡くなってしまった方についても公務死という扱いになります。これによって、日本では、戦争犯罪者というものが法律上存在しないということになったのです。
これらの国内での動きが靖国にA級戦犯の人たちを合祀することとなる要因となったのではないかと考えられています。
ですから、A級戦犯が靖国神社に合祀される以前の首相参拝では、まったく中国、韓国も批判の声を上げることはありませんでした。1978年には太平首相、1980年の鈴木首相の参拝でも特に批判は浴びませんでしたが、1985年の中曽根首相の参拝時の公式参拝というコメントと8月15日という日の参拝によって批判を浴びることになるのですね。
ちなみにA級戦犯の合祀と関係があるのか、どうかは定かではありませんが、昭和天皇もA級戦犯の合祀がわかってからの靖国参拝は見合わせていますし、現在の天皇陛下も参拝はしていません。中曽根首相も批判を浴びてからの公式参拝は取止めました。
なぜ、中国、韓国との関係悪化がわかっていても靖国参拝をする首相がいるのか?
当然のことながら、現在の日本の繁栄、平和は過去に生きた先人たちの努力、犠牲によって成り立っているわけですね。
特に太平洋戦争では、多くの方が国のためにと命を捧げたのです。この歴史を忘れることがあってはなりませんし、繰り返すことなどもってのほか。だから、本来ならば国のリーダーである首相は靖国に参拝するのは当然のことなのです。
とはいえ、現在では首相の靖国参拝は、中国、韓国では大きくメディアで報道され批判を浴び、経済にも悪影響を及ぼしています。
そこで、いくつかの案がでたこともありました。中国、韓国はA級戦犯を祀っている靖国に参拝することに批判を浴びせているわけだから、もう一度A級戦犯を分祀したらどうか?
しかし、靖国神社側の答えとしては、1度合祀してしまった英魂を分祀することなどできないとの回答。
では、靖国神社に変わる戦没者を祀る施設をつくり、そこに参拝してはどうか?
しかし、戦場で戦友同士が「靖国で会おう」と誓い合い、特攻が決まった父親は息子や娘に「靖国にいけば、また父さんに会えるさ」と言い残して命を投げ出していったといいます。靖国とはそれほど特別の存在であり、場所を変えるなど無理・・・。
ですから、首相としては、国を背負う者として戦没者の方たちに敬意と感謝を参拝という形で伝えるのか?または、中国、韓国に配慮し靖国参拝を見合わせるのか?の2択となってしまうのです。
靖国問題の解決策とは?
靖国問題についての解決策は非常に難しい問題です。宗教観の違いを外国の人たちに言葉や文章で伝えることは困難である上、歴史認識も日本の観点と中国、韓国との観点とは違ってきます。
唯一の解決策があるとするならば、中国、韓国との間に親密な関係を築いていくというとこではないでしょうか?
多くの問題で対立している相手の言うことなんて聞きたくないですよね。しかし、親しい友人や恋人のいうことには耳を傾け理解しようと考えるのが人間です。
国を動かしているのは、データや数字ではなく人間の心による部分が大きいわけです。日本の立場を理解してもらう為には、まず相手の立場、考えを理解することが重要なのかもしれません。
>マッカーサーから靖国神社を救ったバチカン
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