栄醤油のはなし

新聞記事改修当時の新聞記事

醤油造りのはじまり

戦国時代末期に徳川家康の命で城が築かれて以降、城下町として栄えてきたこの横須賀の地で、江戸時代、寛政7年(1795年)に、初代となる深谷新八が元々の家業であった刀鍛冶と並行して醤油の醸造を始めたのが栄醤油醸造の始まりです。その後、明治・大正と時代が移り変わるのにあわせていつしか本業となり、5代目の深谷新平の頃には醤油圧搾機を導入するなどして現在使っている醤油蔵の基礎ができあがりました。この蔵に関しましては、2005年夏、耐震化のために創業以来はじめての大改修を行いましたが、この際、鉄筋コンクリートなどによる工場にはあえてせず、あくまでリフォームにとどめて古い柱や土壁を残すことで、蔵に棲みついている菌を守ることを選びました。私たちの天然醸造による醤油造りは、菌たちの手助け無しには成り立たないからです。

変遷する時代の中で

戦時中は醤油も配給制となっていましたが、その統制が解除されたのが昭和25年。そこから高度成長期に伴って、モノが無い時代からモノがあふれる時代へと世相が変わり始め、醤油業界も大規模化・近代化が進み、化学成分を利用して旨味を加えたり、酵素を添加することで発酵の時間を短縮したりする技術が発達したためにたくさんの醤油が出回るようになって、醤油を製造する家は次第に減少してきました。しかし、そんな中で、当時の6代目である深谷教治は流れに掉さすことをよしとせず、飽食の時代だからこそ問われる醤油本来の価値を大切にしたいという思いから、昔ながらの醤油造りを続けることを選んだのです。
戦前の工場戦前の醤油蔵
6代目6代目と木桶

栄醤油に込めた思い

6代目は、時代の流れに逆らうようにして、信頼できる丸大豆や小麦を求めて遠くは北海道にまで足を運んで原料調達に走り、また、使い古した木桶を用いておよそ1年半かけてじっくりと熟成させるやり方を守り通しました。6代目は折に触れて「醤油を出荷するとき、自分の娘を嫁に出すような気がする」と言っていましたが、それほどの手間と愛情を費やしたのです。そして、今の在り方でとこしえに栄えるようにとの意思を込めて、商品名に「栄」を冠し、今の栄醤油が誕生しました。それから今に至る間にも、醤油業界においては安価競争が激化するなど様々な変革がありましたが、栄醤油はよりぬきの原料を用いた天然醸造による醤油造りをこつこつと続けています。近年になると、食の安全性が取り沙汰されると共に醤油の原料や醸造方法が見直されるようになって、大変ありがたい事に遠いところから私どもの醤油を求めてお声かけ頂くことが多くなりました。毎日使うものだからこそ、安心して使えるものを。私たちは今日も、その一心で醤油を造り続けています。