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人生観を描くということ  
 


『熊野観心十界図』と『人生の階段図』


 人の人生を描いた図が日本と西洋においてそれぞれ見られる。それらは、非常に類似しているが、時間の流れについての左右の使い方が顕著に表れている。どちらも、人間の誕生から死までの現世の世界と、死後の世界を描いていて、教訓的な要素が含まれている。そして、類似した内容を描きながらも、その風土や文化によって描かれ方が異なっていることが、日本と西洋との根本的な考えの違いであると考えられる。
 おそらく、もととなる教えや絵画がいずれかにあって、どちらかに伝わったと思われるが、確かなことはわかっていない。古いものは日本の14世紀のものが残されており、西洋では、16世紀から19世紀くらいに頻繁に製作され、19世紀のものが多く残されている。

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【図49】『熊野観心十界図』江戸時代初期  岡山県武久家蔵

 図49は、江戸時代初期に描かれた『熊野観心十界図』である。歓心十界図とは、心という字を中心として、その周りに、十界(じっかい)(仏界、菩薩界、声聞(しょうもん)界、縁覚(えんかく)界、天界、人(にん)界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界)が展開する様子を描いた一群の図をいう。「歓心」とは、自己の心の中を観じることによって、現世で覚りを開くことを説いていることをいい、来世の極楽往生をすすめているわけではないとされている。
 人の心に十界が具わるということは、心の中に仏界も存在するということであり、その仏界には、阿弥陀如来も当然含まれる。歓心十界図は、本来、そうした自己の心内の極楽浄土を、やはり心内に存在する地獄などと共に、併せて瞑想することにより、悟りを開く、そのための具として描かれたものである。
 歓心十界図には、元来、『円頓歓心十法界図(図50)』とよばれる図があり、12世紀頃、宋の時代、中国から日本に伝わったとされている。『熊野観心十界図』は、それが源流となったものとされている。(腮尾,1999(19))。
 『熊野観心十界図』とは、紀州の熊野信仰を伝えるものである。熊野信仰は、中世に広がった最大の民衆信仰である。15世紀頃から、その祈祷やお払いをする熊野比丘尼という旅の巫女たちが、女性を集めて、『熊野観心十界図』の絵解きをし、人生の心掛けを説いてまわったといわれている。
 画面最上部に描かれた半円は「老いの坂」とよばれ、黒く描かれた山の上を登る坂として描かれている。右端にある神社建築風の産屋に、夫婦と誕生した赤子が描かれている。それを起点に、左方向へ年齢を重ねるように、人間の一生を坂を登って降りていく様子で表現している。幼児から老人まで様々な年代の人間を坂道上に配した図像は、中世の地獄絵中に登場するモチーフである。坂道の上部には、右から左へと樹木の四季の移ろいが描かれている。半円のすぐ下には、十界のうちの仏界、菩薩界、縁覚界、声聞界の四聖(ししょう)界が描かれ、その下に六道界(十界のうちの地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界)が展開している。

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【図51】『人生の階段図』パリ国立図書館蔵

 西洋では、16世紀に製作された木版画を最も古い例として『人生の階段図(図51)』と呼ばれる一群の古典版画が存在する。それらは、19世紀までの間、各地でさかんに製作された。実際のタイトルは『年齢の階程』『人生のさまざまの時』『人間の人生のさまざまの時期』など図によって異なる。
 それらの一群は、石造りのアーチ状の階段に、誕生から死に至るまでの人生の各年齢段階の人物を描き、アーチの下に天国と地獄を描くという共通の基本構図をとっている。階段の上には男女一組の人物が描かれる例がもっとも多いが、男だけあるいは女だけが立つものもある。19世紀には民衆版画の格好の主題となって、人びとの間に流布した。
人生の時期の刻みは、初期のものはゆるやかだが、時代がくだるにつれて、10歳刻みで100歳までと算術的に定型化していく。それぞれの階段に、その年齢をあらわす寸言が、「4歳、あどけなさ」「40歳、分別」「百歳、子ども」「百歳、もうろく」などと記されるものもある(網野,1999(20))。
 『人生の階段図』は、人の誕生は左下に位置し、人生における時間の進み方は『熊野観心十界図』と反対に、左から右方向へと移行している。
 階段下のアーチの中には、世界の審判者が描写されている。5つの円の中には、洗礼式、結婚式、葬儀など、人生のうちで、教会で行われる主な式典が描かれている。
これらの絵画は、寓話性・教訓性の強いものであったとされる。物語や歌を伴い、それを専門的に知的修養を積んだ語り手が講じていたといわれる(西岡,1996(21))。
特定の語り手を伴う説話を通して、教訓を呈示するという役割は、日本の熊野比丘尼の役割と類似性をもっていると考えられる。



構図展開1 垂氷モデル的構図

 日本の『熊野観心十界図(図49)』と西洋の『人生の階段図(図51)』には、類似しながらも大きな表現の違いが見られる。『人生の階段図』では、人の誕生から死までの段階を、階段で描かれているが、『熊野観心十界図』では、坂で描かれている。この坂は、「老いの坂」と呼ばれ現世を表している。人にとって、坂とは修行の場であり、修行を積み、煩悩を断ち切って到達する悟り、菩提を表している。老いの坂は、黒く描かれた山の中に囲われていて、全画面の中で区分されている。それより下の部分は、十界の世界が描かれている。坂のすぐ下は、四聖界が胎蔵界曼荼羅で表されており、さらに下は六道界が描かれている。胎蔵界曼荼羅とは、密教の世界観を表した両界曼荼羅のうちの一つで、大日経の所説に基づいて作られたものである。サンスクリット語のもとの意味は、「大いなる慈悲から生じた曼荼羅」とされている。

十界
六道界
四悪界
(しあくかい)
三悪界
地獄界
餓鬼界
畜生界
 
修羅界
 
人界
天界
四聖界
(ししょうかい)
三乗
二乗
声聞界
縁覚界
 
菩薩界
 
 
仏界


 この世に生を受けた迷いのある生命は、死後、浄土ではなく、生前の罪により、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界のいずれかに転生し、この六道で生を繰り返す(六道輪廻)といわれている。この図では、「老いの坂」の下には、十界のうち、極楽浄土にあたる四聖界(仏界、菩薩界、声聞界、緑覚界)と天界、人界が描かれている。中央には、孟(う)蘭盆会(らぼんえ)(亡き人の菩提を祈り、生きている父母の無病息災を願う慈愛の心から出たお盆の行事(22))の儀式がとり行われているところを描き、それより下に、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界という六道の中でも四悪趣が描かれている。
 人は、現実の生活の上で、様々に喜怒哀楽、希望や絶望などの感情の中に生活している。このような多様な感情も生命という基盤が実感している。十界とは、生命が内より実感している十種類の境界のことである(23)。

 図49を、日本文化に見られる垂氷モデルとして解釈するとき、上下逆さに位置に置いて考えてみる。垂氷モデルとは、軒先からぶら下がって「つらら」のように、互いに没交渉のまま、それぞれの時代をこえて、垂れ下がっていくというあり方である。
 図52で見ると、『熊野観心十界図』で示している人の世界というものは、自然界に対して、日輪と月輪の存在する陰陽の世界に垂れ下がって表現される。日本文化において人生という時間概念を考えるとき、日本人が考える人生観というものは、現世も十界の世界も混在して、ところどころにぶら下がっているとして考えられる。
 「人生は風灯石化の如し」というように、仏教では人の世ははかないものであるとし、あってないようなものと考えられている。日本文化において、人の心の重心は、現世の世界よりも、十界の世界であるように思える。
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【図52】『熊野観心十界図』を上下逆さに置き、垂氷モデルと見立てた図


構図展開2 フロント構造      
 ここで、現世と十界の境界が、どう位置付けられているのかを考えてみる。
 八木は、人間を含めて、あらゆる生の営みを観察するとき、その根底にひとつの基本構造が成り立っていることを指摘し、これを「フロント構造」と考えた。物体のフロント(前面)が、その物体のフロントである状態で、他のものの一部を構成している場合をフロント構造とした。八木は、仏教でいう「空(くう)」とは何か、という思想を基にこの理論を示している(八木,1985(24))。
 例として、図53の図から、部屋AとBがあるとする。AとBは壁Wで仕切られている。壁のない部屋はありえないから、壁Wは部屋A、Bの本質的な構成要素である。
壁Wの、部屋Aに属する面をaとすれば、aはAの一部である。しかし他面では、aはもうひとつの部屋Bの存在をあらわし、Aの中にBを表出している。
 ここで注意するべきことは、Bは自分自身を、Aの中にBあるいはbのまま表出しているのではなく、Aの一部であるaとして、Aの中に置きいれている存在であることである。aのことをWのフロントと呼ぶことにすれば、aはWのフロントである状態で部屋の一部を構成していることになる。
 フロント構造の定義として、@フロントとは、何かの前面、前線のことである、A通例として、フロントは変容されることがあり、変容されて他者の一部になる、Bフロントは、他者との出会いが起きるような他者の前面、あるいは前線のことである、CAのフロントはAを代表し、Aを表出する、D他者のフロントは常に敵対的な意味を持ちうる、とされている。
 空間や時間に対してもフロント構造があると考えられている。また、物体として存在しないものに対してもその構造は当てはまるとされている。
 例えば、「伝統」に対してもそうである。伝統の中での過去は、単に過ぎ去って現代に存
在しないものというのではない。現代という時間に、過去というフロントがいたるところに現存し、現代の伝統の一部を構成している。その意味で、現代は過去のフロントを含んでいて現代であるとされている(八木,1988(25))。
 『熊野観心十界図』を、このフロント構造の概念で考えた場合、8つの鳥居がそのフロントとして示されていると考えられる。

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【図54】

 図54で、「老いの坂」の入口と出口に設けられた鳥居1,2は、現世と十界というふたつの世界のフロントとなっている。鳥居3,4は、十界の中での極楽浄土のフロントである。そこを境界に、仏界、声聞界、緑覚界は別の枠組みで区別されている。鳥居5は、餓鬼界のフロントであるが、同時にそれより下は地獄界であり、奪衣(だつえ)婆(ば)に衣服をとりあげられ、地獄界のフロントとしても示される。
 鳥居6もまた、地獄界のフロントである。『熊野観心十界図』には、釈迦十代弟子の一人である目連が、悪道に堕ちた母を救うべく、孟蘭盆会を行なうという逸話が描かれている。鳥居6の前に座るのは目連で、獄卒に串刺しにされた母と再会し、手を目にあてて泣いている場面である(石黒,2004(26))。鳥居7は畜生界のフロント、8は修羅界のフロントとして考えられる。
 また、鳥居は、中央部分である一定の範囲をほぼ円状に取り囲んでいる。鳥居で取り囲まれた範囲内は、十界の中で、ある一定の結界が結ばれている状態であることを表している。この結界の中は、不産女地獄と賽の河原という地獄界の一部も存在するが、かろうじて人の姿として尊厳が保てる状態を表しているのだと思われる。結界の外は、畜生界と地獄界で成り立っており、人間としての形は、失われている様子がうかがえる。
 構図上でのフロント構造を考えた時、前述のように、鳥居1,2は、現実の世界と、十界との構図上の境界としてのフロントとして存在すると考えられた。
 時間上のフロント構造を考えた時、現世は修行の場であり、死後、浄土ではなく、生前の罪により、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界のいずれかに転生し、この六道で生を繰り返す(六道輪廻)という教えに基づく時間概念がある。また、現実の世界を生きる人生の上で、人の心の中に、十界の世界が存在するという考えもあげられる。
 このように、現代の中にも輪廻という過去のフロントが、実は現代のいたるところに存在すると考えられる。ただ、過去そのものは既になく、そのフロントのあるものが変容を受けながら現代の中に同化されているのである。 
 このような概念から、時間について考えられるフロント構造は、「垂氷モデル」という時間概念の構造に類似するものであると考えられる。フロント構造は、「空(くう)」とは何かという仏教の思想を基にしたものであるから、日本文化の独特な概念の垂氷モデルも仏教的要素のある概念から生み出されたものだと考えられる。



構図展開3 階段モデル的構図
 『熊野観心十界図』が垂氷モデルの構図として示されるに対し、西洋の『人生の階段図』は階段モデル的構図として示されること確認していきたいと思う。
 図51(00p)の『人生の階段図』は、見た目にも分かりやすく、段階的に発展するというセオリーに基づき、人の人生というものを階段図で描いている。その年齢の刻みも明確で、階段上に10歳刻みで100歳までを表し、左から右への時間の流れで描いている。10歳までは階段上に描かず、誕生を意味するゆりかごの横にゆるやかな刻みで表現している。
 この階段図は、人生をある段階ごとに呈示している。図55で見るように、50歳までは、10歳ごとに階段を上り、その後、100歳の死に至るまで、10歳ごとに降りていく。左下にはゆりかご、右下には死の床が描かれており、左は生、右は死を表している。階段下のアーチの中には、死後の世界が描かれている。そこには、世界の審判者とその横にキリストが配置されており、その下に天国と地獄を描かれ、それぞれ天使と悪魔が配置する。 
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   【図55】

 『熊野観心十界図』との大きな違いは、『熊野観心十界図』では、現実世界である「老いの坂」を上部の一部に描き、画面の大半を十界という黄泉の世界で描いたことに対し、『人生の階段図』は現実世界である「階段図」を画面全体に描いていることである。西洋における人生観というものは、現実世界に重きを置いている様子をうかがわしているように思われる。
 天国と地獄という死後の世界の存在は、硬い石で造られた階段の下にしっかりと分離されている。死後の世界を現実世界と明確に切り離し、現実世界には介入しないことを示している。現実世界には、階段という人生が位置し、生と死の時間は左から右へと流れる。
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   【図56】
 図56で見るように、5つの円には、人生の中で行なわれる主な教会行事が描かれている。天国と地獄という神の世界が、現実世界に関与するのは、洗礼や結婚、葬儀や礼拝などの教会行事が行われる時である。この時、地から天への時間の矢が働いていると考えられる。そのことをフロント構造で考えると、西洋における現実世界と死後の神の世界は、「教会」をフロントとして存在すると考えられる。


日本と西洋の宗教 そして現代
 これらの『熊野観心十界図』と『人生の階段図』の人生観に関する図から、その基となる教えに、ほぼ同じものが存在し、それぞれの文化圏によって発展していったと考えられる。または、どちらかの図が伝わったことも考えられる。
 日本には、中国から仏教の教えと共に『円頓歓心十法界図』として伝来し、本来は天台宗の教義に基づいて描かれた図であったが、江戸時代に至って、別の教義を表す図として新たに解釈されるようになった。浄土宗のみならず、日蓮宗や心学の教えを説くためにも転用された。そして、熊野という日本独特の風土による民衆宗教の教えに基づき『熊野観心十界図』として発展していった。したがって、西洋の『人生の階段図』が直接伝わったとは考えられない。
西洋では、キリスト教の教義に基づいて描かれている。民衆へ教訓を呈示するという役割を果たした『人生の階段図』という民主版画の図像のとして発展した。また、こういった民衆的絵画の他に、チェコの教育思想家コメニウスが、1658年に著した、子どものための絵入り百科事典『オルビス・ピクトゥス』に、人間の年齢階程の図が記載されているものがある(西岡,1996(27))。
 その他に、このような図は宗教画の系統としても存在した。13世紀ころ、イギリス国教会の総本山カンタベリー大寺院の聖堂に、ステンドグラスで人間の人生を6つの段階に区分して描かれたものが、最古のもののひとつである(網野,1999(28))。
 宗教画の主旨は、教義を視覚化することにより、平明にし、かつ強調し、宗教の民衆への普及率を高めようというものであったと考えられる。これらの図像の多くは、教会などが有するものであり、説教師によって解説が加えられていたとされる(西岡,1996(27))。
 かつて、日本には、生活習慣の中に仏教の教えが存在していた。各家庭には仏壇があり、朝晩のお経を唱える習慣があった。毎日の生活の中で、祖父母が孫に、日本の古くからの習慣や教えを自然と伝えていった。多くの家庭が核家族化した現代では、そういった教えや習慣は、若者の生活には存在しない。しかし、死者を弔う習慣や、先祖を供養する季節ごとの行事は、仏教に基づくものとして受け継がれている。
 古代から日本にある民間宗教は、祖先崇拝であったとされている。後に、仏教が日本に伝わり、先祖を祭祀するための道具として仏教を使ったとされている。しかし、民間信仰の祖先崇拝という概念は、死者の極楽浄土を願う仏教に反したものであった。日本人がもともと持っていた祖先崇拝というものは、死者の魂は、いつまでの家の梁の上とか、裏山に残っていて、私たちが呼べば答えるところにいてください、ということを願っているものである。
 そこで、先祖供養に極楽浄土を願う、仏教のお経を唱えるというのは、矛盾が発生することになる。ところが、お経というものは、梵語なので何を読んでいるのか民衆にはさっぱりわからない。先祖伝来の民間宗教と仏教のつなぎ目を、わからないことでごまかしているとしている。これを日本人の「ぼかしの論理」「曖昧の論理」と柳田はよんだ(鶴見,1998(29))。
 このような現象は、もともと多神教の考えを持つ日本文化の特徴だといえる。八百万の神が生活のいたるところに存在し、死者の弔いは仏教、出産や結婚、年始の挨拶などの祝い事は神社、また多くの人が、キリスト教に基づく結婚式やクリスマスなどの行事を取り入れている。日本人は外来信仰に対して寛容であると考えられている。古代から、国の団結の必要に応じて、協調しやすい性質を持ち合わせているといわれている。
 これに対し、キリスト教の考えは一神教である。キリスト教を原型として宗教を考えると、一つの神を信じながら同時に他の異端の神を信じることは偽善となる。それはほんとうの信仰ではないことになる。しかしそのような立場だけが唯一の宗教の形態とはいえない。キリスト教を「排他的宗教」と特徴づけるならば、「非排他的宗教」もまた宗教の一類型と考えることができる。前者にはキリスト教のほかに、ユダヤ教、回教があり、後者には、神道、仏教、道教、儒教等が入る、とリーヴィは論じた。そして、後者のほうが、社会変動に敏感に反応し、変化を受け入れ、促進しやすいのではないか、という仮説をたてた(鶴見,1998(29))。
 日本文化の特徴として、外来の文化のよいところをうまく吸収し発展させるところにあると思われる。現代は、日本の古くから受け継がれている文化基盤の上に、近隣諸国や西洋などの文化圏から、多様な文化や情報の影響を受け、発展し成立している。現代の日本文化圏に暮らす日本人は、根本的な日本文化の特徴は持ち合わせているが、各個人の生活様式によって、日本文化に傾いているか、西洋文化に傾いているのか、多種多様であると考えられる。


【参考文献/引用図版】
(19) 腮尾 尚子 著『円頓歓心十法界図についての一考察―図の源流をめぐって―』
                        「絵解き研究 第15号」絵解き研究会1999.6
(20)網野 善彦ら 編「いまは昔 むかしは今 人生の階段」福音館書店1999.2
(21)西岡 亜紀 著『フランスの<絵解き>の可能性―人生の階段図をめぐって―』
「絵解き研究 第12号」絵解き研究会1996.9
(22)嵯峨御所 大本山大覚寺 HPサイトhttp://www.daikakuji.or.jp/howa/h-1-8.htm
(23)富士山本門寺宗務院 HPサイトhttp://www.namaki.com/index.html#INDEX
(24)八木 誠一 著「ほんとうの行き方を求めて」講談社現代新書1985.12
(25)八木 誠一 著「フロント構造の哲学」法藏館1988.7
(26)石黒 久美子 著『熊野歓心十界図をめぐる女性表象の機能』
「絵解き研究 第18号」絵解き研究会 2004.3
(27)西岡 亜紀 著『フランスの<絵解き>の可能性― 人生の階段図をめぐって―』
                       「絵解き研究 第12号」絵解き研究会 1996.9
(28)網野 善彦ら 編「いまは昔 むかしは今 人生の階段」福音館書店 1999.2
(29)鶴見 和子 著「鶴見和子曼荼羅W 柳田国男論」藤原書店 1998.5
【図49】網野 善彦ら 編「いまは昔 むかしは今 人生の階段」福音館書店 1999.2
【図50】網野 善彦ら 編「いまは昔 むかしは今 人生の階段」福音館書店 1999.2
【図51】網野 善彦ら 編「いまは昔 むかしは今 人生の階段」福音館書店 1999.2
【図52】網野 善彦ら 編「いまは昔 むかしは今 人生の階段」福音館書店 1999.2
【図53】八木 誠一 著「フロント構造の哲学」法藏館1988.7
【図57】網野 善彦ら 編「いまは昔 むかしは今 人生の階段」福音館書店1999.2
【図58】網野 善彦ら 編「いまは昔 むかしは今 人生の階段」福音館書店1999.2
【図59】西岡 亜紀 著『フランスの<絵解き>の可能性― 人生の階段図をめぐって―』
                       「絵解き研究 第12号」絵解き研究会 1996.9
【図60】西岡 亜紀 著『フランスの<絵解き>の可能性― 人生の階段図をめぐって―』
                       「絵解き研究 第12号」絵解き研究会 1996.9





 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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【図50】『円頓歓心十法界図』
    元興寺文化財研究所蔵

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【図53】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【図57】 人類の6段階
左から鍬を持ったアダム、
箱舟を持ったノア、
炎を持ったアブラハム、
竪琴を持ったダビデ、
王笏(おうこつ)を持ったエコンヤ、開かれた本を持ったイエス



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【図58】 人生の6段階
左から幼少期、少年期、青春期、中年期、成熟期、老年期



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【図59】聖賛歌


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【図60】聖マルタン伝の図像

 



                 
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