いつか、きっと・・・

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宇宙へ向けた人類最初の手紙と、それを載せて飛び去ったパイオニア10号 (1972)


アイザック・アシモフは、我々が宇宙人を探し、信号を求めるのは、「我々は君達より進歩し、 長い時間を経験している。しかし滅亡せずに発展を続けているぞ。君達も元気を出せ!」というメッセージが欲しいのだ、と言っています。

果てしない夜空を眺め、我々だけがこの宇宙に存在するとか、 いずれ他の宇宙人同様、将来は滅亡する定めである、と考えるのは淋しいことです。 しかし、ウェッブの唯一の論理的な結論は、この宇宙には知的生命体は地球にしか存在しない、というのです。

アシモフも知的生命体は地球からしか発生しなかった、という立場をとっていたようで、 数多くの著書の中でも全ての宇宙人の発祥の地は地球であり、フェルミのパラドックスは一度も取り上げていないようです。 (もしご存知の方がありましたらぜひ教えてください!)

僕はそう考えたくありません。こちらの シミュレーションのように、我々は宇宙人の殖民の広がりから取り残された、辺境の地、過疎地にいるのだと思いましょう。 我々が宇宙の都会に入れてもらうには、我々から出かけてゆかなければならないのでしょう。

我々が都会からかなり離れた場所にいるとすれば、この未開の空隙を越えて皆の賑わいの場所まで到達するには、 既に殖民を終えている先輩達より克服すべき障害は大きいでしょう。

しかし、いつの日か我々人類がその障害を越え、宇宙人たちに遭遇し、 辺境の地から新しく参加した一員として歓迎されるときが来ることを願いましょう。

SF作家イワン・エフレーモフは、短編「宇宙翔けるもの」で、地球を遥か離れた宇宙船での、 人類にとって初めての異星人との遭遇を美しく描いています。その異星人にとっては我々が最初ではなかったのです。

限られた時間の中で慌しくデータを交換した後、呼吸する空気が異なるため、 透明の隔壁越しに全裸で向かいあう地球人と異星人の姿が印象的でした。遺伝子組換えを示唆する感動のラストシーンも・・・

いつか、これが現実のものとなると信じています。

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